水木一郎”アニキ”と呼ばれて約20年 なりきって歌うことが”アニソン愛”
アニメソングのパイオニアであり、今なおトップを走り続ける”アニソン界の帝王”水木一郎さん。アニキという愛称で親しまれ、ウィキペディアに90言語で掲載されいる、世界一有名な日本人とも言われている。 45周年の”アニキ”水木一郎、50周年のウルトラマン主題歌を歌う喜びを語る 今年はアニソン歌手デビュー45周年。実力はもちろん、「歌うことが楽しい」「歌えることが幸せ」という気持ちで駆け抜けてきたという。熱い”アニキ”としてのキャラクターはいつどうやって誕生したのか、そもそもアニソン歌手になったきっかけなどについて、秘蔵の写真を公開しながら、水木さんが語ってくれた。
”アニキ”と呼ばれ始めたのはいつから?
これにはいろいろな説がありまして、NHKの歌のお兄さんをやっていたからという説と小堺君と関根君の人気ラジオ番組『コサキン』で僕は「あにぃ」って呼ばれていて、お兄さんからあにぃ、さらにアニキへと変化していったのがまず一つ。 それから、1997年、かつて僕たちの歌を聴いて育った人たち向けに赤坂ブリッツでスーパーロボットのライブやったとき、マジンガーZで出て行ったら、みんなで大合唱になりました。さらに、ファンの皆さんが「アニキ―」って叫んでるんです。なぜ「アニキ」なのかって僕自身の分析だと、自分が子どものときに聴いていたアニメの歌を歌っていた人が出てくるから、当然おじいちゃんになってるかも、ってファンの皆さんは思ってた。ところが姿も声も変わっていなかった。それで、アニキになっちゃったんじゃないかな。客席から一斉にアニキコールが起きたんですよ。約2000人くらいいたのかな。大勢の人にアニキって呼ばれたのはこれが初めてでした。アニキコールは来年でちょうど20年になります。
”アニキ”のキャラクターはどうやってつくられたのか
これね、僕、意識しているわけではないんですよ。だから、”アニソン界の帝王”と呼ばれていますが、自分ではそんな風格ないんじゃないかと思っています。最近はイタリア人の方が”銀河の大統領”って呼んでくれているらしいですね(笑)正義というか、弱い者への愛など、僕自身はそういう気持ちは持ってますけど、なんでアニキになったのかはよくわかりません(笑)。 海外ですと、水木一郎というよりもアニキのほうが通りがいいですね。上海万博にゲストで呼ばれたときに、表が何やら騒がしくて、みんな何騒いでいるんだろう、ってマネージャーに言ったら、「何言ってるんですか。みんな、アニキって呼んでいるんですよ!」。ライブが始まる前から、フィギュアやレコードを手に持ってすごく盛り上がっていて、男の子が感動して泣いちゃうくらいなんですよ。日本のファンの方だと、またライブに行けば会えるって感覚なんでしょうけど、海外のファンは今度いつ会えるのかわからないし、この機会を逃したらもう最後かもしれないって思いなんでしょうね。必ず泣くんですよ。これは日本でのことなんですけど、ブラジルから来てくれたファンがライブ会場で入り待ちしてて、「アニキに会えた」と言って感激して泣いているんです。ほんとに大粒の涙を流して。そこまで感激してもらえるとうれしいです。日本の人もそうだけど、ヒーロー番組の歌を歌っている人ということで、特別な見方をしているのかな。とにかく、アニソンを歌っていると、格別なリスペクトを受けることがありますね。 僕がアニメソングを歌い始めた当時は、番組の作り手も、アニメソングを手掛けた方々も歌い手も、誰もここまで盛り上がるとは想像できなかったんじゃないでしょうか。ただ僕は子どもたちのためにいいもの作ろうって思いでやってきて、気がついたら45年経っていた。テレビを観て応援してくれた子どもたちに本当に感謝としか言いようがない。そのときにみんなが覚えた感動が今も残っているから、アニソン業界はここまで発展することができたんですよね。