水木一郎”アニキ”と呼ばれて約20年 なりきって歌うことが”アニソン愛”
1000曲ライブも成功させ、世界一の声帯の持ち主と言われてます
喉のケアは、ほとんどしていませんね。もともと声帯が強いんでしょうね。強いて言えば、うがい、手洗いくらい。若い頃に、誰にも負けないくらい発声練習をしたことが、今につながっているのかもしれません。歌手になりたいという情熱は子どもの頃からありました。中学の頃から発声練習を始めて、雨が降ろうがヤリが降ろうが365日欠かさず続けていました。
高校時代には既にステージデビューを果たしていたので、夏冬春休み、土日はライブハウス、昔でいうとジャズ喫茶っていったんですけど、東京や横浜で昼5回、夜5回、深夜5回とステージに立って、朝の5時くらいまで歌っていても平気でした。とにかく歌っているのが楽しくてね。当時はカラオケなんてなくて、生バンドなんで余計に楽しくて。ドラムをセットしたり、ギターをチューニングしたりするのもいい勉強になりました。歌うのがつらいと思ったことは一度もない。今でもステージ、レコーディングスタジオに入ると昔のままの気持ちです。全然変わらないです。
そうしなきゃいけないっていうのを教わったのが最初の『原始少年リュウ』のとき。エンディングを堀江が担当し、先に20分くらいでレコーディングを終えたんですね。僕もそれくらいで終わるだろうと思っていたら、全然終わらなくて。なんでなんだろうな、と思っていたとき、リュウについての説明を聞いたんです。そのときはじめて「俺は水木一郎じゃなくて、リュウなんだ!」とスイッチが入って、すぐにOKが出ました。それ以来、バロム1であれ、マジンガーZであれ、ロボコンであれ、それぞれのヒーローになりきることを大切にしました。そうすればヒーローが歌に力を与えてくれる。それが愛なんです、アニソン愛、特撮愛です。 「どうせ子どもの番組の歌でしょう」って思っている人が多かったですね。イベントなどで演奏するバンドの方々は大抵ビックリされていました。ナメてかかっていると、難しくて弾けないんですよ。当時のアニメソングは、子どもにこそ最高の音楽を提供しようという心意気で作られていましたからね。メロディアスなギターのリフ、複雑なベースライン、歯切れのいいブラス、強弱の効いたストリングス……、みんなビビっちゃう。アニメソングに対する世間の評価が低いと感じる場面は多かったですね。どんなに売れていてもヒットチャートにはランキングされなかったり、レコード店でも目立つ場所には置いてもらえなかったり。 でも、僕はそういうのを全部バネにしちゃうんで、今となってみれば「ありがとう」と言いたいですね。周りにどう思われていようと、目の前の子どもたちのために歌うだけです。正義とは何か、愛とは何か、友情とは何か、それを伝えるためなら、歌うステージがミカン箱であろうが何だろうが構わずやってきましたね。最初は、僕の顔なんてみんな知らなかったんですよ。それでも、歌い出したら、「あぁっ、あの歌を歌っている人」ってなるんですよ。水戸黄門の印籠みたいにね。 以前は「お兄さんはこういう歌、歌ってっているんだよ、みんな知っているかな?」って、言いながらイベントしていたものです。最近はおかげさまで顔を見ただけでも、わかってもらえるようになりました。バラエティー番組のおかげですね。