「生涯をかけ、入所者の生きた証しを伝えたい」歌手・沢知恵さんとハンセン病療養所の30年 瀬戸内海の小島に歌声響かせ
沢さんは、父が残した写真や、今でも幼い沢さんの姿を覚えている東條さんから、当時のことを聞いた。 「教会内でも島外の人と入所者側のスペースが区分されていましたが、その境界を元気よくハイハイで“越境”する私を見て、入所者の皆さんは驚き、私を順番に抱っこして、かわいがってくれたそうなんです」 ▽25年ぶりの来訪 大人になった沢さんは1996年、高校生の時に亡くなった父の足跡をたどるため、25年ぶりに島の来訪を果たした。 高松港から船に揺られ、大島の桟橋を見ると、15人ほどの入所者が横に並んでいた。手を振りながら「ともえちゃーん!」と涙ながらに歓迎してくれた。 「驚きました。私を25年間も覚えてくれていたなんて」 入所者が書いていた日誌には、沢さんの誕生日である2月14日の欄に「ともえちゃんの誕生日」と書かれているものが見つかったとも聞いた。幼い頃の自分をずっと覚えてくれていた温かさと優しさに、心打たれた。
以来、当時住んでいた関東から毎年足を運び、交流を重ねた。対話し、礼拝し、けんかもして、本音で語り合えるほど仲を深めた。 「部屋で一緒に歌ったり、礼拝で賛美したり。入所者の方々は歌が大好きなんだと知って、園で毎年コンサートを開くことにしたんです」 ▽鎮魂の歌声 2013年、仲の良かった入所者の塔和子さんが83歳で亡くなった。関東に住んでいた沢さんは、最期に会うことがかなわなかった。 変わりゆく療養所に感じる、焦りと悔しさ。「近くにいたい」と意を決し、翌年、対岸の岡山市に引っ越した。 移住後は毎週日曜の礼拝を頻繁に訪れ、入所者とともに賛美し、祈りをささげた。困難を抱えながらも響く鎮魂の歌声。奴隷制度を起源とする黒人霊歌に通じるものを感じ、心から魅了された。 そんな教会にも、高齢化の波は押し寄せていた。2015年、信徒が数人に減り、教会の存続が難しくなった。 「入所者たちが築き上げてきた教会をなくしてはいけない。私が一人でやるから、礼拝を続けさせてほしい」。沢さんは東條さんを含む信徒らに懇願した。