「生涯をかけ、入所者の生きた証しを伝えたい」歌手・沢知恵さんとハンセン病療養所の30年 瀬戸内海の小島に歌声響かせ
「知恵ちゃんがやってくれるなら、お願いね」。そう託され、2016年から毎月、全国から牧師を呼び、島内外の人を招いて礼拝を続ける。 島への人の往来が制限された新型コロナウイルス禍でも、牧師と2人だけの参加を条件に、礼拝を続けることを園から特別に許された。 感染拡大が懸念される中で、続けるべきか葛藤する時もあった。それでも「島に足を運び続けることに意味がある」と信じてきた。 船でないと渡れない離島の園。「外からは中の様子が見えない。大島は自分から見に行かなければいけない場所だった」 ▽変わりゆく療養所 いつか、入所者はいなくなる。そうすれば、園は療養所としての役割を終える。沢さんにとってコンサートや礼拝は、多くの人が島を訪れるための「口実づくり」でもある。 歴史を生かすためには、島に人が足を運び続ける必要があるからだ。 「大島へ渡る船がなくなれば、人が行けなくなる。それでは園の歴史と入所者の生きた証しを伝え続けることができない。だから、私はこの島を残していきたいんです」
▽収容所の重さ 沢さんはハンセン病音楽史の研究がしたいと、岡山大大学院に入学、修了している。 きっかけは2014年ごろ、教会で見つけた古い楽譜だ。そこには、全国の療養所に残る「園歌」が記されていた。 入所者みんなが口ずさむことができ、国の強制隔離政策を反映した歌詞や、苦難の中で希望を見いだそうとする入所者の思いが込められた歌だった。 修士論文の調査や公演を目的に、大島以外の各地の国立療養所にも足を運ぶようになった。 岡山県瀬戸内市の「長島愛生園」とも関わりを深め、2023年10月、ハンセン病患者が消毒や身体検査のために隔離された収容所「回春寮」で初めて公演を開いた。 回春寮は、患者が入所後に最初の1週間隔離され、衣服を脱がされてクレゾール入りの風呂で全身を消毒された場所だ。 2015年に初めて収容所を訪れた沢さんは、その空間が持つあまりの「重さ」にたじろいだという。「8年を要したが、負の歴史と人々の生きた証しを伝えたい」と、コンサートに踏み切った。