一番の被災は「加害者がいること」 全町避難の富岡町ルポ(下)
人気のない桜の名所を歩く
桜並木の下を歩く。桜は道路両側にびっしりと先まで連なっていた。 ―――ここは桜の名所です。富岡では毎年4月に「桜まつり」があります。本当に花の出方がすばらしい。全国からの観光客が、感動して帰ります。メーンが向こう(立ち入り禁止区域)の夜の森公園。この通りはサブ会場で、桜の下でよさこいを踊ったんです。「富岡の桜の下で踊りたい」という人も増えていたんですが。 ―――桜は皮をはぎ、除染しました。なので、木の皮の色が変わっている。除染をみると、桜がかわいそうでした。べろっとむかれるんです。 バスに戻ると「夜ノ森」という曲がかかりました。歌手の渡辺俊美さんが作った曲です。 ―――聞くとないちゃいますね。このへんで。。 すぐに曲を止めた。
一番の被災は何でしょうか?
藤田さんが、おもむろに話し出した。 ―――ぼくらの一番の被災は何でしょうか。地震でも、津波でも、原発でもない。加害者がいることだと思います。 ―――だからずっと被害者でいるしかない。でも「いつまで被害者でいるんだ、それに気付こうよ」と問答してきた。被害者でいると、つらいんです。去年4月、反省文をレポート3枚に書いて、会社内で社員に話した。「おれはまちがっていた」と。一度おきたことは変えられない、先の生き方はおれがきめていい、と思うようになった。 ガソリンスタンド以外で唯一開いている商店を通る。 ―――一時帰宅にきた町民が、スコップほしいとか思うときのために開けている。店主は避難先から通い。朝9時ごろから午後3時ごろまで開けている。電気は通じているが、水道はまだ開通していません。
天井が落ちた事務所
藤田さんの実家と事務所に到着した。目の前に、深さ3メートル幅10メートルの巨大な陥没がある。 ―――もともと水路で水はけが悪く、震災前から新しいものを作ろうとの計画があった。そんな中、原発事故がおき、昨年10月に陥没してしまった。 ―――まあこのまま(土足)でいいですわ。 地震の影響で建物が曲がり、扉が閉まらない。そんな家が多いという。「失礼します」と声を出し、家にあがった。右の茶の間は、兄が住んでいたというが、今後はいわき市に移るという。カセットコンロなどがコタツの上に当時のままおかれていた。床に小さな黒いものが点々としている。ねずみの糞だという。 道路反対側の建物が、いつも仕事をしていた事務所だ。 ―――今の状況を、見て下さい。 扉を開ける。言葉が出ない。天井材がほぼ落ち、天井がぽっかりと空いていた。 ―――昨年3月25日、久しぶりに事務所に戻ってきた。中に入ろうとしたら、つるってすべった。靴の裏に白い天井材がついていた。雨漏りがひどい家は、みんなこうなります。「もう事務所はだめだ」と思い、その場に座り込むところだった。 ―――「自宅に戻れ」といわれても、こんな状態では。壊して建て直さないと住めない。町民はお金はないし、すぐ戻ろうとしても、建て直しをお願いできる業者がいるだろうか。 再びバスに乗り、富岡高校を通る。今通う生徒はいないが、横断幕が掲げられている。昨年末の全国高校サッカー大会で福島県代表になり、全国大会に出場したのだ。 ―――先輩の声かけに賛同した町民有志で、「看板はろう」と作った。ここの高校生は現在サテライト校4校に分かれているが、バトミントンが全国優勝するなどスポーツが非常に強い学校です。サッカーグランドは芝生が敷きつめられ、恵まれた環境でした。