一番の被災は「加害者がいること」 全町避難の富岡町ルポ(下)
東日本大震災と福島第1原発事故から3年。全町避難が続く福島県富岡町では、昨年3月25日の警戒区域解除で立ち入り可能になってから、1年経った。案内ツアーを企画する、食堂受託会社の藤田大さんと町を歩き、その現状と思いを聞いた。 ※(上)からの続き
廃炉の作業は大丈夫なのか
次に、海岸沿いにあり、眺めがすばらしい旅館「観陽亭」で降りる。 ―――海抜18メートルですが、窓が板張りのままです。この1階にも津波がやってきたということです。小さいころ、よく遊んでいた場所です。 ―――この高さをよく覚えてくださいね。そのまま「回れ右」。前方に、福島第二原発がみえます。つまりほぼ同じ高さで、第二原発にも津波がきたはずです。第二原発も全電源喪失しましたが、当時所長の増田さんは第二原発出身だった。現地では、3号機手前の電源が奇跡的に生きていて、ヘリも使って資材を運んだ。そして12日未明から、電源ケーブル9000メートルを200人でかついで、予備電源を1-4号機までつなぎ、かろうじて爆発を免れた。作業した人は「水もひかない中で、死ぬかと思った」と聞きました。あまり知られていないと思うが、そんな努力があったんです。 ―――ぼくが強調したいのは、廃炉作業は30~40年続くということです。しかし原発作業より除染の方が賃金が高く、原発内の仕事に人が集まらない。そんな状況で、廃炉にできるのか。思いを寄せてほしい。1F(第一原発)で作業をしている人には、拍手を送りたいと思う。
避難区域、境界のいま
富岡町北部の夜ノ森地区。道路をはさんで対照的な光景が飛び込んでくる。右側は、ガードレールが並び、一軒一軒の家の入り口には、立ち入りを防ぐバリケードが迫る。左側は、そうした障害物がない。 ―――ここは避難区域の境界です。右が「帰還困難区域」で立ち入りが厳しく制限されます。左が「居住制限区域」で立ち入りできます。 バリケードの「先」の住宅は比較的新しい。大きな商店も多く、地区の中心部だ。 ―――カラオケやビデオ店、スーパーマーケットなどが立ち並んでいました。 同行した富岡町出身の女性が話します。「みんな生活の不安を抱えています。ここにいれば持ち家があって、知り合いがいた。多くが移ったいわきは、みんながなじみがない土地で、目的がなくなっている。3年経ったので『一歩ふみだそう』と思うのですが、みんなをどう巻き込んでいくかが課題です」。