モネの睡蓮が20点以上集結! 国立西洋美術館で開催中の『モネ 睡蓮のとき』を解説。
モネが晩年に移り住んだジヴェルニーで制作に打ち込んだ睡蓮の作品を中心とした展覧会が、東京・上野の〈国立西洋美術館〉で開催されている。楕円形の展示室では睡蓮の世界にどっぷり浸れます。 【フォトギャラリーを見る】 印象派を代表する画家の一人であるクロード・モネ[1840-1926]は1883年、43歳の時にパリから80kmほど離れたノルマンディー地方ジヴェルニーに移り住み、50歳の時に正式にジヴェルニーの家と土地を購入し終の住処とした。1893年には新たに土地を購入し、睡蓮の池を造成する。この「水の庭」を作品モティーフとしてモネは睡蓮の連作を次々と制作していくのだが、第1章「セーヌ河から睡蓮の池へ」では、睡蓮という画題にたどり着く前の、ロンドンの川の景色やセーヌ河の水を捉えた作品を紹介している。
第2章「水と花々の装飾」では、19世紀末のフランスで多くの画家たちが挑んだ装飾画にモネも取り組んでいく様子をたどる。モネの「大装飾画」は現在、パリの〈オランジュリー美術館〉の楕円形の展示室の壁面を飾っている。ここでは睡蓮のみならず、ジヴェルニーの庭園で自ら丹精を込めて育てたさまざまな花をモティーフにした作品も見られる。
階段を降りて第3章「大装飾画への道」へ。楕円形の展示室へ入ると、湾曲した壁に睡蓮の作品9点が勢揃いし圧巻だ。2メートルもの大きなカンヴァスに描かれた大作をはじめ、近年60年ぶりに発見され、修復を終えて〈国立西洋美術館〉に入ったことで話題を呼んだ《睡蓮、柳の反映》(旧松方コレクション)も並ぶ。
モネは1908年、68歳の頃から眼の異常を感じ始め、4年後72歳の時に白内障と診断された。それと前後して1911年には最愛の妻アリスが、1914年には長男ジャンが死去、同年に次男ミシェルが第一次世界大戦へ出征するなど、相次いで不幸や心配事が襲いかかる。第4章「交響する色彩」では、不確かな視力に悩み、悲しみに陥りながらも、睡蓮をはじめ日本風の太鼓橋やバラのアーチがある小径など、さまざまなモティーフへと没頭していく様子をたどる。