客に失望されても“ハゲキャラ”は拒んだ…「歌丸さん」の落語愛 旧友だから語れる「笑点」とは別の顔
お金の話をするのはカッコ悪い?
K:だからぼくは、だんだん「彦六伝」とか「片岡千恵蔵伝」とか、そっちの方向に行くわけです。ウケがよくて売り上げが良かったものだから。要は入金と売り上げなんです。 ――なるほど(笑)。他に似たような感覚の人、おられますか? K:落語家は、そういうお金の話をしちゃいけないとか、かっこ悪いとかっていう意識がありますからね。だからぼくみたいに堂々と前面に出すっていう人はいないんですよ。儲かるからやっているっていうより、好きだからやってる人が多いんですよ。ぼくだって好きだけど、好きだって言ったら面白くないから。儲かるからやってるって言ったほうが伝わるしね。 ――確かに。師匠しかいないですね。 K:ぼくは87歳になるけど、笑点を辞めたのは、みんな病気でヨレヨレになって辞めていくでしょ。でもぼくは元気で、寄席も出てて、今も本を出そうってやってるでしょ。そういう人がこれまでいなかったんですよ。とても末路が痛々しいとか。ぼくはそれがカッコ悪いし、嫌だったんですよ。 ――歌丸師匠と、ちょっと双極っていう感じですね。 K:そうですね。落語に対する姿勢もですし。ぼくみたいな者もおいてくれている、弾かれない世界です。 *** この記事の前編では、同じく『木久扇の昭和芸能史』(草思社)より、中国にラーメン屋を出店するため、林家木久扇が田中角栄のもとを訪れた際の、昭和らしい豪快な陳情エピソードを紹介している。
【著者の紹介】 林家木久扇(はやしや・きくおう) 1937(昭和12) 年、東京日本橋生まれ。 落語家、漫画家、実業家。 56 年、都立 中野工業高等学校卒業後、食品会社を経 て、漫画家・清水崑の書生となる。60 年、 三代目桂三木助に入門。翌年、八代目林 家正蔵門下へ移り、「林家木久蔵」となる。 69 年、日本テレビ「笑点」の大喜利レギュ ラーメンバーに。73 年、真打昇進。82 年、 横山やすしらと「全国ラーメン党」を結成。2007 年、林家木久扇・ 二代目木久蔵の落語界史上初の「親子ダブル襲名」を行う。24 年 3 月、「笑点」を卒業。現在、(一社)落語協会相談役・(社)俳人 協会会員・(一社)鯨の食文化を守る会副理事・(社)日本漫画家協 会参与・ニセコ親善大使など精力的に活躍中。 最新著書に「バカの遺言 」( 扶桑社新書)、「ゴリラとオオカミ・ ヤギとゾウのお話 僕のコミュニケーションの掟」(山極壽一、き むらゆういちと共著/今人舎)がある。 林家たけ平(はやしや・たけへい) 1977(昭和52)年、東京足立区生まれ。 落語家。東海大学卒業後、塾講師を経て 2001年、林家こぶ平(現正蔵)に入門。05 年、二ツ目昇進、16年、真打昇進。趣味 は昭和歌謡鑑賞とその研究。07年、NHK 新人演芸大賞入選。11年、北とぴあ若手 落語家競演会、池上落語会、共に大賞受 賞。17年、第7回オーディオブックアワード・企画賞受賞。19年、 彩の国落語大賞受賞。24年、東海林太郎音楽館・副館長就任。 著書に名歌手30名超豪華インタビュー集「よみがえる歌声 昭和 歌謡黄金時代」(ワイズ出版)がある。 デイリー新潮編集部
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