客に失望されても“ハゲキャラ”は拒んだ…「歌丸さん」の落語愛 旧友だから語れる「笑点」とは別の顔
林家こん平の“やらかし”を一緒に謝りに行った
K:歌丸さんの子ども時分は、そういう職業の家だから、とても孤独だったらしいんです。そんな中、ラジオで盛んに落語をやっていたんで、それで好きになったらしいんです。そして五代目の古今亭今輔師匠のところに弟子入りしたんです。その頃、冨士子さんという方と結婚して。もともとご近所に住んでいて、その立ち振る舞いを歌丸さんがずっと覗いていたんです。 ――歌丸師匠は片思いのお相手とご結婚されたんですね。 K:冨士子さんは今、93歳でご健在。歌丸さんより年上の方です。でも当時、結婚しても食えないんで、冨士子さんと2人で化粧品のセールスのアルバイトをはじめたんです。一緒に売りに行くわけじゃなくて、別々でね。「このクリームをつけるとハリがでます」って言って売っても、歌丸さんはその頃から痩せてて、頰がこけてる人が そう言って売ってもねえ(笑)。 ――説得力ゼロです(笑)。それが昭和30年代? K:そうです。それから落語ブームになるんですが、そのきっかけは新宿末廣亭で「末廣演芸会」っていうテレビ番組(テレビ朝日、1975~1981)がはじまったことでした。桂米丸師匠が司会で月の家圓鏡(八代目橘家圓蔵)さんとか、三笑亭夢楽さんとか、笑点の前の世代の人たちが出ていて、その視聴率がよくて落語自体が盛り上がってきたんです。でもその中には入れないんで、横目で見ながら頑張っていたんですけど、自分と同世代の立川談志さんが「笑点」を作ってくれて、メンバーにしてくれたんですね。 ――歌丸師匠はのちに「笑点」の司会者にもなられましたね。 K:ええ。ずいぶん仲間内との付き合いがあって。例えばこん平さんがお酒でしょっちゅうしくじるんですね。三平師匠の海老名家へ行って騒いだり、おかみさんのことをバカヤローって言ったりして「あんた、クビよ。こないでよ」って言われると、こん平さんが歌丸さんに泣きついて、いつも謝りに行っていたんです。 ――そうなんですか。面倒見が良いんですね。