荻野目洋子も参戦…カジュアルおばさん&ロックTおばさんを笑うな!「おば揶揄」が炎上するワケ
荻野目洋子は「ロックT」おばさん
そんなことを考えていたら、「カジュアルおばさん」が数日間、Xの上で「ファッション・ビューティー・トレンド」に入りつづけるという奇妙な事態となった。そしてカジュアルおばさんを切り口に、中高年が好き勝手にファッションと加齢について語りだした。 そして発掘されたのが2018年の伝説の炎上記事「40代が似合わないTシャツはコレ! 失敗しがちな真夏の痛カジュアル5選」である。あまりにも燃えたため、実はこの記事はオリジナルのウェブサイトは削除されている(なので、個人的にはあまり掘り返してあげないでほしいと思っている)。 「上品さや清潔感とは対極の位置にあるロックTシャツは、10代~せいぜい20代前半までしか許されないアイテムです。精神的に大人になり切れていないのかな、常識がなくて変わった人なのかな、と思われたくなければ(…)断捨離リストへ入れてください」 これがふたたびSNSに浮上して、ロックTについて「何ならおばあちゃんになっても着ていたい」と荻野目洋子が発言した。「自分を幸せにできる人間でいようと思うし楽しめる大人でありたい。服にはそういう力がある」と。御意。
「バカにしてよい表象」として扱われてきた
今回のカジュアルおばさん騒動で思い返したのは、近年「弱者男性」「おじさん差別」といった言葉が聞かれるようになってきたことだ。たしかにおじさん蔑視は問題である。しかし一方で「おばさん」はもう何十年も「バカにしてよい表象」として扱われてきたのだ。それを透明化しないでほしい。 「サザエさん」(1946年~、テレビアニメは1969年~)もそう。「ちびまる子ちゃん」(1986年~)のお母さんもそう。バブル期の「オバタリアン」(1988年~)など、なぜここまで怨嗟を込めて描けるのかというほどの醜悪さで人物造形されていた。 「あたしンち」(1994年~)のお母さんもだ。お母さんというものは、いつも家にいて、暇そうで、うっかりしていて、デリカシーがなく、夫の稼ぎで食わせてもらっている存在……ということになっていた。 だから波平は「コラァ! バッカもぉん」とサザエを叱ってもよいし、オバタリアンは醜くバーゲンにつめかけるし、「あたしンち」の暇そうな大学生の娘は、母親をあきれや侮蔑の目で眺める。 でもそのおばさんたちが、他の登場人物の食事をつくり、洗濯物を洗ってたたみ、部屋をきれいにしてくれていたのである。