袴田事件当時の捜査に対するこれだけの疑問 小川秀世[袴田事件主任弁護人]
『自白の信用性』が示した裁判官の過ち
《再審で無罪となっても裁判所というのは反省しないところなんですね。1980年代に死刑再審4事件、免田事件、松山事件、財田川事件、島田事件が再審で無罪になったわけです。その後、裁判所は何をやったかというと、何もやっていない。 いや、何もやってないのではなくて、一つだけやったことがあるのです。最高裁が『自白の信用性』という本を作りました。どういう本かというと、当時の死刑事件、だいたい冤罪事件には必ず自白があります。『自白の信用性』は、「判断を間違えたからこういう冤罪が生まれた」という発想なんです。自白の信用性をきちんと判断するためには、どうしたらいいかと考えて、たくさんの判例を2つの類型に分けました。 1つは自白の信用性が争われて、無罪になった判決例を出してきて、無実の人の自白には、こういう特徴がある、と書いているのです。そしてもう1つの判例は、自白の信用性が争われたけれども有罪になった例です。つまり、真犯人の自白には、こういう特徴があるということが書いてあるのです。二つを比較し、自白の信用性を判断するのは、こういう方法だということが書いてある。 もっともらしいでしょう。でも、実はこれは無茶苦茶なのです。何が無茶苦茶かというと、有罪になった事件が、すべて真犯人の自白だったなどと言えるはずがないからです。実際、自白の信用性が争われて有罪になったという判決例のほうに、布川事件も入っていたのです。布川事件の桜井さん、杉山さんの自白があり、「こういう嘘ばっかり言っている、ころころ変わるやつの中にも真犯人も、こういうことを言うことがあるから気をつけなさい」というようなことが書いてあるんですよ。まだほかに狭山事件、名張事件も、そういう例に入っているのです。 結局、裁判所は、冤罪というのは、基本的に裁判官が真面目にやっていればありえないのだと。ただ、たまにおかしな判断をしたときに間違えるだけだと、だからこういうかたちで判断が統一されれば間違いなんか出てこない、制度改革なんて必要ないんだみたいなことを言っていると、私は思っています。これはものすごく重大な問題だと思います。 私はこの問題を、『季刊刑事弁護』の論文に「悪魔の判決教本だ」と書いたんです。これは、悪魔が判決を書く時の手引きだと。ところが、誰もこの論文を評価してくれなかったし、引用もしてくれない。さすがに布川事件が無罪になったあとに、こんなものを作っていたら損害賠償をやるぞと言ったら、絶版になりました。だからこれ、古本屋で買うと高いですよ(笑)。 でもそんな発想が裁判官の世界で行われているということ自体がおかしいでしょう。複数の裁判官が書いているんですよ。だからそういう意味では裁判官に自浄作用を期待するのはもう無理ではないかと私は思っています。》