中山美穂が「85年組」で頭ひとつ抜けた理由と「アイドルの早世」が浮き彫りにした光と影
■20人弱の同級生のうち4人が早世 そこで思い出されるのが、初代三人娘のことだ。江利チエミが45歳、美空ひばりが52歳でともに病死。江利が亡くなったとき、筆者は高校生で、英語の教師が授業をつぶして、雪村いづみも含めた三人娘の話をした。文化祭で落語を披露するような教師だったので、その語り口は味わい深く、個人的かつ世代的な郷愁が伝わってきたことを覚えている。 同世代の芸能人たちというのはある意味、それ自体がひとつのグループのようなもので、同じ世代の大衆にとっても青春の象徴なのだ。その誰かが欠けるというのは、自分の青春が遠い過去になったという気持ちにもさせる。 今回の訃報では、85年組をはじめとする80年代アイドルの魅力や思い出を語って郷愁にひたりたくなった人も多かったようだ。実際、ネットではそれが散見され、前出の最優秀新人賞一本釣りのエピソードに言及している人もいた。 そういえば、中山は84年の大みそか、自宅でレコ大を見ながら、歌手デビューしてそのステージに立つことを夢見たという。その年、最優秀新人賞を受賞したのは岡田有希子で、86年の序盤には中山との化粧品CMソング対決が話題になった。 しかし、その春に岡田は18歳で自殺。堀越高校の芸能コースを卒業した直後だったが、その同期には本田美奈子もいた。また、83年に歌手デビューした菊地陽子も同期で、32歳のとき、白血病で死去。さらに、岡田と同じ84年組である松本友里も同期で、こちらは42歳で自殺した。20人足らずの同級生のうち、4人が早世しているわけだ。 そこで考えてみたいのが、若くして芸能界で成功してしまうことの影響だ。中山のエッセー集「なぜなら やさしいまちが あったから」にはこんな記述もある。 「寝ないで仕事をし、寝ないで遊ぶ。毎日3時間以下の睡眠で仕事をしていた時期がありました。やればできたものですが、時間も曜日も日付もわからない毎日でした」 トップアイドルとして、歌もドラマもバラエティーもやり、田原俊彦との熱愛も報じられていた時期のことだろう。10代から20代にかけて、そういう生活をすることが心身に負担をもたらし、のちのちの寿命にまで関係してくることがないともいえない。日本に限らず、若くして成功した芸能人に早世する人が少なくないのは、見すごせない現実だ。