中山美穂が「85年組」で頭ひとつ抜けた理由と「アイドルの早世」が浮き彫りにした光と影
■「永遠のシャイニングスター」 そこをどこまで結びつけるかはさておき、同世代のアイドルに憧れだけでなく、感謝や尊敬の念を抱く一般人は多いだろう。なにしろ、自分がまだ学生として、将来を模索している時期に、世に出て仕事をして、責任感と緊張感を強いられる立場となり、ともすれば自分の青春を犠牲にしながら、同世代の青春を盛り上げてくれる存在なのだから。中山の死にショックを受けつつ、ありし日の映像を見たり歌を聴いたりして懐かしむ人が多いのは、何よりのはなむけだと思う。 葬儀の喪主も務めた妹の中山忍は、コメントのなかにこんな一節を入れた。 「私にとって姉は『大好きなお姉ちゃん』であるとともに『みなさんの中山美穂』であり、『永遠のシャイニングスター』です」 この姉妹がまだ若い頃、それぞれに取材したことがある者としても、時の流れを感じてしまう。「80年代アイドル」というものもこうやって過去の歴史に変わっていくわけだ。 とはいえ、誰にとっても青春の輝きは永遠だ。中山美穂とともに青春をすごした人たちにとって、彼女の輝きもまた永遠だろう。(一部敬称略) ●宝泉薫(ほうせん・かおる)/1964年生まれ。早稲田大学第一文学部除籍後、ミニコミ誌『よい子の歌謡曲』発行人を経て『週刊明星』『宝島30』『テレビブロス』などに執筆する。著書に『平成の死 追悼は生きる糧』『平成「一発屋」見聞録』『文春ムック あのアイドルがなぜヌードに』など
宝泉薫