“能登で最後の収穫の秋”能登栗に惚れ込み19年…地震を機に能登を離れる決断をした栗農家松尾さん
石川テレビの稲垣アナウンサーが、能登の復興に向けて前を向く人たちに話を聞く「能登人を訪ねて」。今回は能登の栗農家・松尾和広さんを再訪した。元日の地震以降、激動の一年を過ごした松尾さんにとって、これが「能登で最後」の収穫の秋となる。松尾さんの能登を離れるという決断に至るまでの、再起への歩みに密着した。 能登栗農家が迎えた能登で最後の収穫の秋
松尾栗園 苦渋の決断
2024年4月始め。稲垣アナが輪島市の松尾栗園を訪れると、栗の木のせん定に1人汗を流す男性がいた。能登栗農家の松尾和広さんだ。 愛知県出身の松尾さんは、能登のクリの味にほれ込み、脱サラして輪島へ移住した。2006年に始めた松尾栗園では糖度が高い焼きグリを作り出し、全国でも評判の商品に育て上げていた。しかし、能登半島地震で松尾栗園も大きな被害を受ける。4月時点の被害の状況を見せてもらうと、そこには地震の影響で大きくゆがんだ建物や、すっかり倒壊して屋根部分しか見えなくなってしまっている作業場部分があった。 松尾栗園 松尾和広さん: ここが住居部分で向こうが作業場部分なんですけど… そう案内してくれた松尾さん。あまりの被害の大きさを目の当たりにした稲垣アナの口から、思わず「何にもない…」と言葉が漏れた。その言葉に、松尾さんが頷く。 松尾さん: そうですね…何が無事で何がダメなのかも、まだ全部わかっていない状況です。 地震で、商売道具である農機具などをしまってあった自宅兼作業場が全壊。農園は栗栽培を続けられる状況にあったものの、作業場の復旧に1億円以上が必要と分かり、松尾さんは人生をかけてきた栗農家としての再出発を諦め、一家での移住を決意した。
能登の栗栽培を通し 静岡で再起
2024年7月、静岡県掛川市に松尾さんの姿があった。以前から親交のあった浜松市の菓子メーカー「春華堂」が、和栗のブランド化に取り組むプロジェクトを立ち上げることになり、栗栽培のノウハウを持つ松尾さんに参加を呼び掛けたのだ。 松尾さん: 栗の仕事が引き続きできるということで、まだまだ能登では仕事を失った人がいっぱいいるので…自身が置かれた恵まれた環境に、すごく感謝しています。 この夏、松尾さんは能登から遠く離れた静岡で、栗の栽培に適した候補地の選定や、これまでに培った技術や経験を参加している企業や農家に伝える日々を送っていた。こうした中、「春華堂」が立ち上げたこのプロジェクトが、松尾さんの栗園を含む輪島で獲れた栗を、復興支援の一環として買い取ってくれることになったのだ。 松尾さん: いま一番能登のためにできることって、僕は栗しかやってきてないし。この和栗プロジェクトに出会えたことで、能登の栗農家の栗を買い続けることができる。それをずっと続けられたら、小さなことではあるんですけど、能登の農家にとってはありがたいことだし、栽培を続けられるので、能登栗を結果的に守ることになれるので、すごくありがたいですよね