“能登で最後の収穫の秋”能登栗に惚れ込み19年…地震を機に能登を離れる決断をした栗農家松尾さん
松尾栗園 最後の収穫
季節は巡り、10月。栗の旬、秋がやって来た。輪島市の松尾栗園を訪れると、そこには以前より少しやせた松尾さんが稲垣を待っていてくれた。久しぶりの再会に、稲垣アナも松尾さんも思わず笑顔になる。 「松尾さん!お久しぶりです。ちょっと痩せましたか?」「痩せたんですよ。8月23日にこっちに来たときは67kgあったんですけど、収穫中に5kg痩せて62kgになりました」 静岡の和栗プロジェクトは、松尾さんに2024年の1年、松尾栗園での栽培作業を委託している。このプロジェクトのため、松尾さんは浜松と能登を往復しながら栗を育て、9月から収穫を行ってきた。収穫中に痩せたというその言葉から、松尾さんがとても忙しい日々を送っていたことがうかがえる。 稲垣: 松尾さん、今日はどんな日になるんですか? 松尾さん: 住み込みのアルバイトさんがいま3人いるんですけど、彼らが今日は最終日です。このメンバーでやる収穫は今日が最後ですね 松尾栗園での栗拾いは早朝に行われる。木から落ちた栗が、自らの呼吸熱で糖分を消費しないようにするためだ。このように、栽培や収穫の方法をこだわりながら、松尾さんは19年間の試行錯誤によって「糖度36度の能登の焼き栗」を作り出してきた。 実のなり具合は上々。2023年は豊作の年だったが、それと変わらないくらいの収穫があるようだ。松尾さんにとって、能登・輪島での栗拾いは2024年で最後になる。理想の栗を追い求め、試行錯誤を繰り返してきた能登を離れることに対して、気持ちを聞くと… 松尾さん: そうですね、能登ではこれが最後の栗拾いです。ここの畑は、自分が栗農家になるために育ててもらった畑なので…なんか単純に寂しいというだけじゃないですね。寂しいというより、感謝ですよね。本当に失敗だらけだったんで…ここの木にいっぱい色んなことを教えてもらいました。
能登を離れる朋の 思いを引き継ぐ能登人
2025年からこの栗園を引き継ぐのが、柳田尚利さん。柳田さんは2012年に大阪から能登に移住し、現在は輪島市町野町で農園を経営している。同じ移住者として、輪島の地で農業に情熱を燃やす柳田さんは、松尾さんのよき理解者だった。栗の収穫を手伝う柳田さんに、松尾栗園に対する思いを聞いた。 柳田尚利さん: 松尾さんが移住してきた時に一番最初に始めたのがこの畑なんですよ。だからこそこの土地は、どんなにいい人が来てもやらせたくないという気持ちが強かったんですね、僕にとって。他人にやらせたくないと… その言葉から、柳田さんにとっても松尾さんとこの栗園の存在はとても大きなものだったのだ、ということがうかがえた。柳田さんは続ける。 柳田さん: どんな素晴らしい人が来ても『この土地をやるのは俺やろう』という気持ちが出てきて…最初は黙ってたんですけど。5月ぐらいに松尾さんと2人で1時間ぐらいしゃべる時間があって、その時についポロっと出ちゃったら、思いがとまらなくなっちゃった…そしたら、あれよあれよとこの栗園を受け継ぐことが決まっちゃって… 松尾さんが栽培方法はもちろん収穫の時間にまでこだわり、栗の糖度を引き上げることに情熱を注いできたことを、柳田さんはきっと誰よりも深く知っている。輪島で農業に従事してきた仲間として、松尾さんの栗園を受け継ぐことについて、どう思っているのだろう。稲垣は柳田さんの心境をたずねた。 柳田さん: 松尾さんとは違うから、僕の100%を出しても松尾さんの100%と同じかというと、違うと思うんで…そこは僕のやり方でやっていきたい。同じ栗でも、農家それぞれ考え方が違って当たり前やと思うんで、それは別にあんまり気にしてないです。 松尾さんが人生をかけて注いできた能登栗への愛情は、共に切磋琢磨してきた盟友の手へしっかりと受け継がれていく。