EUROで躍動した19歳アルダ・ギュレルの未来はどうなる?「現時点でマドリーは最適な場所ではない」と伝説OBが指摘する理由【現地発コラム】
マドリーの門戸をこじ開けるには、適切な監督を見つけることが不可欠
このタイプの選手にアレルギー反応を示す監督は少なくなく、選択を誤れば、自信を失うことにもなりかねない。これ以上、この問題に深入りすると足を滑らして、私はしばらくの間、トルコで休暇を過ごすことができないかもしれないが、サッカー選手としての成長は試合に出場することによってのみ得ることができるのは紛れもない事実であり、レアル・マドリーは少なくとも現時点ではギュレルにとって最適な場所ではない。 ひとえに要求レベルが高すぎるからだ。今シーズン、ギュレルは短い出場時間の中でインパクトを残したが、それはあくまで消化試合における結果だ。マドリーはすでにラ・リーガ王者に輝き、出番が与えられたのは、長い間待ち望んでいた彼へのご褒美、あるいは慰めといった意味合いが強かった。 実際、チャンスをものにし、アピールすることに成功したが、チャンピオンズリーグ決勝戦では、再び最高レベルにおける競争原理が働き、出番は回ってこなかった。それが与えられたEUROでは、華麗なプレーでトルコの躍進に貢献。注目度が急上昇しているのは前述した通りだ。 19歳と若いギュレルが、これだけ拍手喝采を浴びれば、勘違いしてしまう可能性だってあるだろう。そんな中、マドリーでは新シーズン、1年目以上に高いハードルに直面することになる。キリアン・エムバペの加入だ。ギュレルは継続的にプレーできる環境を必要としているが、マドリーはそれを保証できない。 数年前、マーティン・ウーデゴー(現アーセナル)も同じ困難に直面し、その才能に見合った名声を勝ち取るには外部に居場所を見つけるしかなかった。そして今、ギュレルがトップを目指すうえで同じ選択を迫られている。 いくらファンから慕われようが、クラブは異なるロジックで決断することを、彼は理解しなければならない。知識を持った指導者はいくらでもる。しかしギュレルのような才能を伸ばすことができる感性を備えた指導者はわずかしかいない。 将来、マドリーの門戸をこじ開けるには、適切な監督を見つけることが不可欠だ。あとタイミングさえ誤らなければ、偉大な才能がすべてを高みへと導いてくれるはずだ。 文●ホルヘ・バルダーノ 翻訳●下村正幸 【著者プロフィール】 ホルヘ・バルダーノ/1955年10月4日、アルゼンチンのロス・パレハス生まれ。現役時代はストライカーとして活躍し、73年にニューウェルズでプロデビューを飾ると、75年にアラベスへ移籍。79~84年までプレーしたサラゴサでの活躍が認められ、84年にはレアル・マドリーへ入団。87年に現役を引退するまでプレーし、ラ・リーガ制覇とUEFAカップ優勝を2度ずつ成し遂げた。75年にデビューを飾ったアルゼンチン代表では、2度のW杯(82年と86年)に出場し、86年のメキシコ大会では優勝に貢献。現役引退後は、テネリフェ、マドリー、バレンシアの監督を歴任。その後はマドリーのSDや副会長を務めた。現在は、『エル・パイス』紙でコラムを執筆しているほか、解説者としても人気を博している。 ※『サッカーダイジェストWEB』では日本独占契約に基づいて『エル・パイス』紙に掲載されたバルダーノ氏のコラムを翻訳配信しています。