「『魂の地下室』に眠る言葉を取り出す」村田沙耶香×待川匙『光のそこで白くねむる』文藝賞受賞記念対談
小説を書くという呪い
待川 村田さんへの人生相談みたいになっちゃうかもしれないんですけど、今まったく二作目を書ける気がしていなくて、こんなふわふわしてて書き手として大丈夫なんでしょうか? 村田 私も相当ふわふわしていて、むしろ待川さんのほうが、話しているとよほどちゃんとしていらっしゃる気がします。何を書くかはお考えになっておられたりするんですか? 待川 受賞のご連絡をいただくまでは、来年何を新人賞に出そうか、というのを考えていたんですけど、連絡をいただいた瞬間に全部が消えました。やっぱり投稿作と二作目は違うだろうなと思って。 村田 私も二作目を出すまでは、けっこう時間がかかってしまいました。デビュー作の「授乳」から二作目の「ひかりのあしおと」が掲載されるまで、三年半くらいかかりました。 待川 小説を書く人の状態にどうやって入っていくんだろうというのを、今すごく悩んでいるところです。村田さんは、作家としての状態を、どのように身につけられたのですか? 村田 横浜文学学校という勉強会で、恩師の宮原昭夫先生が、「小説は人間の職業ではなく状態ではないでしょうか」とおっしゃっていたことがあって。またご著書で、「作者は作品の奴隷だ」という言葉を教えていただきました。小説を書いていると、だんだんと意味のわからないことが起きて化学変化でまったく違うものに変質していって、そこになんとなく、その小説の本質、根幹、があるのではないかと思って。なので他を全部消して、現れてきた塊のようなものに従う……という書き方を続けていました。そのため、人間としての自分が考えていないようなことが小説の中に発生するのですが、それに従う、自分には手に負えない蠢きに支配される喜びのようなものがいつもあります。 待川 いい意味で小説に呪われた意識ですね。 村田 でもそれが結局一番楽しいというか、どうなっていくのかわからない実験のような喜びがあるんです。