「『魂の地下室』に眠る言葉を取り出す」村田沙耶香×待川匙『光のそこで白くねむる』文藝賞受賞記念対談
偶然が必然となる瞬間
村田 「光のそこで白くねむる」には、暴力、とくに「加害」と「被害」といった現象が存在し、心に残りました。人によっては最初から「暴力」をテーマとして据えて書き始める方も多いと思うんです。けれど本作はそうではなく、小説の中から「暴力」が自然に、真っ白な紙の中にじわじわと、溢れたインクみたいに滲み出てきているような感覚がします。 待川 「加害」と「被害」という言葉は最初から対照に置こうとしたのではなく、バラバラに出てきました。「加害」は、書き始めたときに嫌なおばあちゃんを出そう、おばあちゃんが言って嫌なことって何だろうと思っていたら、「加害者」と言い続ける機械のような存在になりました。ほかはかなり後付けで、土産物屋の店主が無差別殺人を起こす話も、この小説の色がかなり決まってから、最後に何か足そうと思って書き足しました。主人公が受けてきた「被害」もそうです。ただ、最初から、「土地の呪い」みたいなものを出したいなとは思ってはいました。でもなかなか書けなかったですね。なので、後半に置こうと書き始めたシーンをわりと無理やりニュルッと前半に入れる、みたいな作業をすごくたくさんしました。ある文章を別の無関係な文章の中にポンと置くと、何か新しい言葉や場面が出てくるのではという試みをしているうちに、たまたま暴力に関するシーンが削られず残ったのかもしれないです。 村田 主人公の「わたし」を、女性として読む選考委員もいれば、男性として読む方もいました。ジェンダーを限定しないように読める書き方は、意図的になさっているんですか? 待川 はい、そこは明確にそうしました。大人だけど子供の意識と連続的に見せたいなと思って推敲するうちに、視点人物が自らジェンダーを同定するような描写が取れていきました。 村田 不思議でした。選考会では、みんなそれぞれが違うジェンダーを思い浮かべていることに、はじめは気がつかないで読んでいたんです。 待川 「わたし」の性別や、舞台の場所の具体性をなるべくなくす。この二つはけっこう意識していました。最初に書いたとき、「坂」にはもっといろいろ、鯉のぼりや名物の木があって、それを地元の人が「田舎の観光名所」にしようとしている描写があったんですけど、全部削りました。自分は田舎育ちなので、存在しない田舎のイメージはわりとパッと浮かびました。生まれは徳島のはずれにある漁師町で、単線のワンマン電車が走ってて、あとは海と山があるだけのような場所だったんです。 村田 「キイちゃん」という子は、いつ出てきたのでしょうか? 待川 最初、キイちゃんは普通に生きている、地元のお兄ちゃんみたいな感じの人物でした。前半は故郷に行く話を「わたし」の視点で描き、後半は二人で帰る話をキイちゃんの視点から描く構造の作品にすることをなんとなく考えていたんです。作品をパッと書いた後、作品のテキストを並べ替える作業を自分はよくするんですけど、そのとき、入れ替えの順番を間違えたんです。行きパートと帰りパートを間違えて、いきなり「わたし」の語りのパートで「おれは」とキイちゃんが言い出して、本来の語り手とは別の語り手がいきなり出てくるこの感じは面白いかもと思い、一回全部消して書き直したのが始まりでした。 村田 面白いですね、偶然性が物語にとっては必然になったようなお話ですね。小説の文章は、消してもどこかに気配が残っていることもあれば、完全に消えることもあって、興味深いです。「墓参り」はいつ小説の中に出てきたのでしょうか? 待川 けっこう後だったと思います。ただ電車に乗ってるだけの小説だったので「目的、無っ!」と思って。なので墓参りはかなり意識的に、それこそ話を進めるために適切な位置をさがしてポンと置いた感じです。 村田 小学生の描き方が私にとってはリアルで、たとえばその子が給食で飲んだ牛乳の匂いが声からするような、不思議な生々しさがありました。こういうふうに書こうと思ったことは何かありますか? 待川 怖いものを書いてみたかった、ということもありますが、むしろ、ストレートに小学生の会話を書くことは、自分の実力的にできないなと思い、避けて迂回していたらこうなっていました。「わたし」とキイちゃんの語りを簡単に入れ替えられるようにするために、二人称の文を三人称の文のように書いておくとか、本当にあったことをそのまま入れるみたいな、技術的に自分が簡単だと思うことをしていました。中華屋さんのスープの器が小学校の給食のときと同じだったというエピソードがありますが、あれは書いているときに本当にあったんです。書くまでは想像もしなかったところへ、書きながら小説に連れて行ってもらう。でも連れて行かれるままに書くのではなく、技術的にしんどいところを避けつつ、小説と交渉して自分にできることをするという作業をしていました。 村田 子供と大人というところでは、「子供という殻が破られて、すべてがすっかり変質し、ほとんどべつものになることで大人になるのではなくて、子供時代というのは、琥珀のなかに閉じこめられた昆虫のように、ずっとそのままのかたちでそこにあって、その外側をべつのものが包んでいるだけなんだ」という辺りがすごく好きでした。個人的な感覚ともすごく呼応する、共鳴する言葉でした。 待川 この文章、削ろうと思ってたんです。子供時代は琥珀のなかに閉じ込められたもののようである、という言葉の説得力を、その前までの文章で出せている自信がなくて怖くて、これはちょっとやめたほうがいいんじゃないかと最後まで悩んだ一文だったんです。自信がなかったので、村田さんにそうおっしゃっていただけて救われた気持ちになります。 村田 選考会では選考委員のお一人が、「文藝賞をこちらが土下座して、もらってもらうくらいだ」と、ものすごく褒めていらっしゃいました。 待川 畏れ多いです。……ところで失礼ですが、候補作の冊子についた付箋が大量で、すごく気になります。 村田 私は普段は本に付箋はつけないんですけれど、このお話はとにかく文体が素晴らしくて、好きな文章にペタペタ貼っていたら、付箋だらけになりました。待川さんは、随筆を書いても文章に宿るものの力でほとんど小説に近い佇まいになるようなタイプの作家さん、たとえば私自身が大好きな堀江敏幸さんや朝吹真理子さんのような方が頭に浮かんで、そのような文体そのものに大きな力がある書き手さんなのではないかなあ、という勝手な想像がありました。待川さんは、この作家の文体が特に好きとか、そういう感覚が強くあるタイプの読み手ですか? 待川 文章そのものを書き写すことをすごくやります。書きながらちょっと詰まってきたら、手元に全然関係ない小説を置いて、それを同じパソコンの画面で、ファイルだけ切り替えて、キーボードで書き写すことが多いです。かなり分解されてはいるんですけど、「光のそこで白くねむる」も、書き写していたものがなんとなく混ざった文章になったという気はしています。この作品を書いた時は、オーストリアの作家シュティフターの『晩夏』や『水晶』、川上弘美さんの『真鶴』、折口信夫やブルーノ・シュルツらの作品を書き写していました。細密で、マニエリスム的な文章が好きというか。あとはやっぱりフォークナーですね。