「『魂の地下室』に眠る言葉を取り出す」村田沙耶香×待川匙『光のそこで白くねむる』文藝賞受賞記念対談
言語を超えた読書遍歴
村田 待川さんの読書歴がとても興味深いと編集部の方に伺いました。聞かせていただけますか? 待川 読書歴の始まりは小学校一年生になったくらいでした。「ハリー・ポッター」シリーズが流行った時代だったんですけど、ハマらなくて、代わりに、『崖の国物語』というすごく長い作品が図書館に並んでいるのを見つけて、かっこいいと思って読んでみたのが始まりでした。 村田 純文学というものがこの世に存在するということに気づかない人もいると思うのですけど、きっかけはあったんですか? 待川 嘘みたいですけど、「文藝」なんですよ。二〇〇六年冬季号の伊藤たかみさんの特集号が最初だったと思います。伊藤さんはヤングアダルトっぽいのも書かれているので「あ、伊藤さんだ」と思って雑誌を買ったら、綿矢りささんの「夢を与える」が載ってて、「なんだ、これは!」となって。その翌年の冬季号では磯崎憲一郎さんが「肝心の子供」で文藝賞を受賞しデビューされた。その辺りからずぶずぶとハマって読んでいきました。中学一年生、十三歳のときです。 村田 最初に文芸誌から入るって珍しいですね。私の印象では単行本とか、子供のころは教科書や文庫が多いのかなと感じています。十代のときに文芸誌を手に取っている人がいることが、嬉しいです。海外文学もお読みになると伺いましたが、きっかけはあったんですか? 待川 日本文学と海外文学の位相が違うという認識がないまま、手当たりしだいに読んでいました。こういう人は多いと思うんですけど、大きな本屋さんに行くと一番上の階の端っこから一番下の階の端っこまでバーッと全部の棚を見るタイプなので、自然と面白そうなものは目に入る。だから、何か特定のきっかけはないと思います。小説が好きだから、小説だから読もう、くらいです。 村田 フォークナーと幸田文という、まったく作風の異なる二人の全集を読破したとも聞きました。 待川 フォークナーの全集は二十二歳のとき、小説を書いてない、書かないと賞を獲れないんだと気づいたときに、岩波文庫の『熊』が好きだったので、読んでみようと思って手に取りました。フォークナーは〈移動〉を書くのがすごく上手いと思っていて、『八月の光』の冒頭も妊婦が歩いてくるシーンから始まるのが印象的だったんです。幸田文は本作を書き始めるちょっと前くらいに読みはじめました。『さざなみの日記』が一番好きです。いまは、小学館の「日本古典文学全集」を頭から読んでいます。 村田 英語など、原語で読むみたいなこともなさりますか? 待川 大学の外国語を使う授業の流れで、大人になってから頑張って辞書を引きながら原語を読んでいます。高校生のときは英語しか知らなかったので、フィッツジェラルドの『グレート・ギャツビー』を読んだりしていました。大学で習ったフランス語、英語、中国語の他にも、スペイン語、あとはサンスクリット語を勉強しています。最近では、英訳版『マハーバーラタ』十巻を取り寄せたり、ポール・オースターの遺作とか、アルゼンチンの作家マリアーナ・エンリケスの英訳作品を読んでいます。日本の五大文芸誌に加えて、グランタやニュヨーク・タイムズ・ブックレビューを読んだりもします。あとは中国語にハマって、中国資本のゲームを中国語で遊んだり、中国のドラマを見たりもしています。 原書と翻訳書は、それぞれ全くリズムの違う別物として楽しめるものだと思っています。特にフォークナーってすごく変な文を書くので、翻訳者さんによっては原文の段落を途中で切ってわかりやすくしている方もいます。やたらこのフォークナーは改行が多くてスマートだなと思って、原書を読むと段落がつながっていたということもありました。小説の勉強と思って読むというよりも、翻訳を読んで「ああ、そういう意味か!」と思ったりするのが、単に好きなのかもしれません。