「『魂の地下室』に眠る言葉を取り出す」村田沙耶香×待川匙『光のそこで白くねむる』文藝賞受賞記念対談
記憶と共鳴する物語
村田 「光のそこで白くねむる」を最初に読んだとき、とにかく文章の力を感じました。一行一行の中に光と影の粒子が含まれた、複雑に光る詩を読んでいるような感覚で、何も起きない日常描写が続いたとしても、待川さんの文章をもっと読みたいと思いました。複合的に作品を流れる時間や、自分の記憶とも共鳴する言葉の一つ一つが全部好きだったんです。この作品は、すべての人間の秘密につながる謎の箱に接続していて、ものすごく深く広い「魂の地下室」に眠っている言葉を取り出してつくられているようで、これは絶対に本として存在してほしいと思いました。 待川 ありがとうございます。自分ひとりで読んでは書いてを繰り返してきたので、村田さんに読んでいただけたことが、本当に心から嬉しいなとしみじみ感じています。 村田 私は子供のときから小説を書いていたのですけど、待川さんはこれまで何か書いていましたか? 待川 書くよりも読むほうが好きで、それほど書いてはいませんでした。ただ、書きたいという気持ちは子供のときから持っていて、十代でデビューされる方を見て、「十七歳くらいで自分も作家としてデビューするんだ」と勝手に思い込んでいました。その頃から句読点や改行の位置のようなものが徐々に気になりだし、書き手の目で読んでいるつもりでいたんですけど、一文字も小説を書いたことがない、書かないと賞を獲れないことに、二十代前半になってようやく気づいて(笑)書き始めたんです。 村田 自分も、どこかの賞に応募してるわけでもないのに本屋さんでじっと自分の本を探しているような小学生でした。待川さんも、読んだときにただ物語を与えられるタイプというよりは、物語の影響を受けて自動的に新しい物語が身体の中に発生するタイプの方だったのかなと思いました。 待川 そうかもしれないです。村田さんが「自分の手書きの文字を明朝体にしたかった」とどこかで書かれていたとき、めちゃくちゃわかると思いました。 村田 明朝体になったときって嬉しいですよね。ゲラになると、また全然違います。同じ作品でも単行本と文庫とか、組が違うものの文字の表情を見比べるのが好きです。 待川 わかります。最終選考前にゲラをいただいたとき、一晩中ずっと眺めていました。 村田 短歌もなさっていたとお聞きしました。 待川 十八歳くらいのときに一年だけ、大学で川野芽生さんと同じ短歌サークルに所属していました。千種創一さんとは友人で、十年くらい前に「中東短歌」という同人誌でご一緒しました。 村田 この作品はどのくらい時間をかけて書いたのでしょうか? 待川 半年くらいです。二十代前半のときにも一度だけ文藝賞に応募したことがあったものの、自分は書くよりも読んでいたほうが面白いなと思って、あっさりやめちゃったんです。今回また書こうと思ったのは、ちょうど去年の夏、北海道に珍しく台風が来て、予定していた登山旅行がなくなって、一週間くらいぽっかり時間が空いちゃったからなんです。久しぶりに何か書いてみるかと思って、とりあえず登場人物を乗り物に乗せて移動させておけば何か出てくるだろうと思い、プロットも何も決めないで冒頭をふわっと書き始めました。 村田 何も決めないで、どこに行くかわからない小説を書くのは私も好きです。短編も含め、たぶんほとんどすべての小説で、この先どうなるのかわからずに小説を書いています。小説が終わるときも、あ、たぶんここがラストシーンだ、と書きながら気がつきます。新人賞の選考会では物語の終わり方について議論する機会があるのですが、私自身、子供のころ初めて小説を書いたときも、最初は途中までしか書けず、すぐに他の小説を書き始めてしまってばかりで、一つの小説が終わる、ということが発生するまで時間がかかりました。大人でも、そこにひとつの壁を感じている方がいるとお聞きします。「光のそこで白くねむる」のラストの文章ができたとき、「あ、ここで終われた」と思うような瞬間はありましたか? 待川 ラストはけっこう急いで付け足したんです。一晩で最後に三十枚くらいピュッと書いて、終われないけど締切がきてしまうから唐突にブチッと切ったという感じです。ただ、今までは賞に応募しようと思えるほどのラストを書けないことがほとんどだったので、今回はまがりなりにも書き終えたとき、やっとどこかに行けたかな、という感覚がありました。 村田 選考の中でこの小説のラストを「これは主人公が大量殺人をすることを示唆しているのではないか」という話にもなり、驚きながらも、それは面白い読み方だなあと印象深かったです。私は、確かなものが何もないこの物語のラストで、骨を掘り返せば確かなものが見えるはず、と予感させる結末の付け方をしていることを、すごく面白いと思いました。 待川 前半は自分にしてはよく書けたなと思っているのですが、後半の手ごたえは自分ではよくわからなかったんです。キイちゃんが喋り出したあたりからは、「面白いな」と自分で思うときと、「何だこれ」と自分で乗れないときがありました。「自分の読みたいものを書こう」というのが書くときの最大のモチベーションなので、これは本当に自分の読みたいものなのかなと悩んでしまって。最終選考の結果を待っている間も、今回はないかな、一人でも推してくださる方がいらっしゃれば御の字だな、と失礼ながら勝手に思っていたので、受賞の連絡を受けたときは、驚きました。