J1残留の鳥栖F・トーレスが語った「日本で進化したこと」
祈りを捧げていた表情に、満面の笑みが映えた。スコアレスドローとサガン鳥栖のJ1残留を告げる主審のホイッスルが、敵地カシマスタジアムに鳴り響いた直後の光景。ベンチで戦況を見つめていたFWフェルナンド・トーレス(34)が、サッカー人生で初めて経験する呪縛から解き放たれた瞬間だった。 「アトレティコ・マドリードを離れると決めてから新しい挑戦を探し、サガン鳥栖に来た。残留争いという非常に難しい状況でプレーしたことがなく、ストレスフルな時期もあったが、新しい経験を積むことができた。日本に来る前より進化できたんじゃないか、と思っている」 全国9つのスタジアムで、1日午後2時にいっせいにキックオフされた運命のJ1最終節。試合前の時点でサガンは勝ち点40で湘南ベルマーレ、名古屋グランパスと並び、得失点差でわずかにグランパスを上回って残留ぎりぎりの15位につけていた。 ベルマーレとグランパスの直接対決が組まれていた関係で、引き分け以上なら自動的にサガンの残留が決まる。アジア王者・鹿島アントラーズとの一戦は、両チームともに決定的なチャンスを作れないまま0-0で時間が進んでいく。しかし、後半30分すぎになって風雲急を告げる一報が届く。 グランパスが2点のビハインドをはね返して、同点に追いついた。万が一、アントラーズに得点されて敗れれば、16位に転落してJ1参入プレーオフに回る。 後半終了間際まで攻守両面で奮闘したトーレスは、左腕に巻いていたキャプテンマークをMF高橋義希に託して、FW豊田陽平との交代でベンチへ下がった。 「勝つためにしっかりと準備してきたが、引き分けでも十分だということはわかっていた。もちろん勝つためにプレーしていたが、仕事は果たせたと思う。難しい状況だったからこそ、チームメイト、スタッフ、そしてサポーターもみんな喜んでいると思う」
ヴィッセル神戸に加入したアンドレス・イニエスタに続き、世界を驚かせたトーレスのサガン移籍。7月上旬まで続いた交渉の過程で、ヨーロッパから見て極東に位置する日本へ行くことと、日本のなかでもプロビンチア(地方)に位置する佐賀県鳥栖市でプレーすることを、新たな挑戦として受け入れてくれた。 ただ、下部組織から心技体を磨いた愛着深いアトレティコをはじめ、リヴァプール、チェルシー、ACミランでプレーしてきた34歳のストライカーは、ヨーロッパのトップリーグで残留争いを経験したことがなかった。ゆえに前半戦でサガンが17位にあえいでいたことに、戸惑いを覚えた時期もあった。 最終的にはすべてをポジティブにとらえ、7月中旬に来日した。しかし、パスの供給役がいないサガンのスタイルに馴染めず、J1で初ゴールを決めるまでに8試合を要した。スペイン代表でも一時代を築いた勇姿はその後もなかなか見られず、サガンも残り5試合で再び17位へ順位を下げた。 このタイミングで、マッシモ・フィッカデンティ監督が実質的に解任された。後任は、今夏からトップチームのコーチを兼任していたサガン鳥栖U-18の金明輝監督。時間的な余裕もない状況で、37歳の青年指揮官はそれまでのサガンに欠けていた要素をすべての選手に求めた。 「現代のサッカーは、やはり走ってなんぼなので。相手を追い越して走るとか、そういった部分にはしっかりトライしてもらった。フェルナンドに関しても、90分間を通して運動量が増えたと思う」 トーレスが先発フル出場した試合の総走行距離とスプリント回数を比較すると、指揮官が交代する前後で大きな変化を遂げていることがわかる。 総走行距離は前監督のもとで戦い、1-2で敗れた9月29日の北海道コンサドーレ札幌戦が9.840キロだったのに対し、金監督就任後の11月4日のV・ファーレン長崎戦が10.902キロ、同24日の横浜F・マリノス戦が10.806キロに達し、ともに1点差で勝利している。 スプリント回数に至ってはコンサドーレ戦の5回から、V・ファーレン戦では21回にはね上がっている。スピードを駆使し、相手の最終ラインの裏を突くスタイルで世界と勝負してきた点取り屋が、チームメイトのために走り、泥臭く体を張るファイターの一面をも186センチ、78キロの体に搭載させていた。