名古屋グランパス・副務の北野真一さん、ルヴァン杯Vに沸く中でのもうひとつの『達成感』 「サッカーのサの字も…」から入った世界、今はリーグ優勝願う
◇連載「鯱の舞台裏」 その激闘、あの勝利には仕掛け人がおり、このチームを支える人たちがいる。名古屋グランパスのスタッフや職員らを紹介する「鯱の舞台裏」。第2回は、1995年から用具の運搬やユニホームの管理などを担当してきた副務の北野真一さんに聞いた。 ◆ルヴァン杯優勝Tシャツを着て笑顔の長谷川監督【写真】 3年ぶりタイトル獲得に沸いた、11月2日のルヴァン杯決勝・新潟戦(国立)。PK戦にもつれ込んだ激闘の末訪れた歓喜の瞬間を、重要な任務を担って待ち構えていた。記念Tシャツの選手、スタッフへの配布だ。 2―1の後半終了間際、PKで同点に追いつかれ、延長戦に突入した。「マネジャーに、あんまり最初から触んない方がいいよ、ギリギリまで行かないと何があるか分からないからって言って。でも、追加タイムになって、私ももういいだろうと思って、ピッチまで台車で持っていったんですよ。そうしたらああなって。引っ込めたり出したり。最後出せたので、本当に良かった」。選手にわずかでも影響を与えないよう、試合中は目につかないところに隠していた記念Tシャツ。過去には、優勝を逃し、泣く泣く廃棄した経験もある。降りしきる雨の中、無事に配り、達成感を味わった。 大学卒業後、名鉄運輸に就職し、引っ越しの営業などをしていた。転機は94年。事務所にいたところ、人手が足りないからと、先に出向していた先輩を手伝うことに。95年から正式に出向、2016年にはグランパスのプロ契約社員となり、文字どおりクラブの一員となった。 最初は「サッカーのサの字も知らなかった」というが、トラックの運転手として用具の運搬をしたり、ウエアの管理や発注をしたりし、選手たちを支えてきた。運転するのは、グランパスのエンブレムが入ったトラック。「勝った帰りは、鼻歌を歌って帰る。ナイトゲームの後は眠いけど、サポーターの人たちも、周りで車から手を振ってくれるので、うれしい」と笑顔を見せた。 用具係としての勝負は春季キャンプ。ユニホームはもちろん、アンダーシャツや靴下など、選手の好みを頭にたたき込み、シーズン中は言われなくとも自然と用意できるようにする。たとえば、05~07年に所属したMF本田圭佑はいつも半袖だが、今季加入したFW山岸祐也は夏でも長袖。「試合に全集中してほしいので、もう言われずともそれを用意しておく。キャンプ段階が、コミュニケーションをとるチャンス」なのだという。 選手たちとは「友だち感覚では良くない」とあえて距離を置いてきたが、その中でも思い出深いのはストイコビッチ。キャンプ終盤、スタッフでトランプをしていると、飛び入り参加。世界屈指の選手の気さくさに心動かされた。 Jリーグ30周年記念試合として開かれた昨年8月5日新潟戦(国立)で久々の再会。「ピクシーって言ったら『おーっ』ってハグしてくれて。『もう日本は暑いな』『夏にサッカーやっちゃだめだよ』みたいなちょっとくだらない話もして。笑顔でいてくれたのが印象深い」と振り返った。 21年には、コロナ禍のバブルの中で、久々に選手を乗せた車も運転した。アジア・チャンピオンズリーグ(ACL)の後は、選手たちの宿泊するホテルと、練習場のトヨタスポーツセンターの間を往復。「完全隔離で人にも会わない。海外に行けば、家にも帰れない。あれはあれですごく結束した。そういう意味で、ルヴァン杯を優勝できたのかな」と懐かしむ。 待望するのは、リーグ優勝だ。10年の初優勝を現場で見届けたのは、楢崎正剛アシスタントGKコーチ、吉村圭司コーチらで、クラブのスタッフでも数えるほどとなった。「こんなもんじゃないと言うのもなんだけど、うれしさはこんなもんじゃない。リーグで優勝するのは格別。もう辞めてもいいって、それぐらい思った。昨季は神戸で見たが、ああいうことを逆にしたい」と願った。 ▼北野真一(きたの・しんいち) 1969年5月8日生まれ、名古屋市緑区出身の55歳。92年に愛知学院大を卒業し、名鉄運輸に就職。95年からグランパスに出向し、2016年からプロ契約社員に。副務として、ウエアなど用具の運搬管理、練習の補助などをする。
中日スポーツ