電撃辞任でファンも選手も「中嶋ロス」歴史に残る名将、オリックス・中嶋聡が選手時代に味わった「知られざる苦悩」
悔しさを糧に、名監督への道を歩んだ
村瀬:中嶋さんの師匠は仰木彬さんとよく言われますけど、実は阪急ブレーブスの監督として日本シリーズ3連覇を果たし、黄金時代を築いた上田利治さんなんですよね。 長谷川:上田さんですね。仰木さんは中嶋さんをあまり起用しませんでした。 先日、山田久志さんに取材した際に「あの時の中嶋はかわいそうだったけど、それでも腐らなかったから今があるんだ。このままオリックスにいてもダメだと思って他のチームに移籍して、野球留学も含めて知見を広げた。逆説的だけれど、仰木さんのおかげかもね」ということをおっしゃっていました。 山田さんには中嶋さんの若い頃の話も聞いたんですよ。「若手の頃から1990年代を背負っていくキャッチャーになるだろうと思っていて、結果その通りになってくれたので嬉しい。18歳の頃からすでに周囲の人を冷静に見る力があった。あいつには強かさがあるんだ」と褒めていました。2人とも秋田出身で同郷という絆もあり、だからこそ自身の引退試合では、中嶋さんにマスクを被ってほしいと志願されたんですよね。 村瀬:監督になったあとも一人ひとりの選手をじっくり見て、若手の宗佑磨や紅林弘太郎を引っ張り上げたのも、ご自身の経験によるところが大きかったのでしょうね。 村瀬:こういう話を聞くと中嶋さんの書いた本がますます読みたくなりますけど、まあ出さないところが名将たるゆえんですかね(笑)。それにしても、今回の退任も非常に理にかなっているというか名将っぽいなと思いました。 長谷川:フロントも周りもみんな引き止めているし、ファンも悲しんでいますしね。 村瀬:選手の中でも中嶋ロスが大きくて、特に目をかけられていた紅林はショックが大きかったという話です。「自分たちがもっとしっかりやっていれば」みたいな感情もあるでしょうし……。 長谷川:これからもずっといい語り継がれ方をしますよね。来年は「見ていてください、中嶋さん」っていう、そんな一年になりそう(笑)