【証言・北方領土】歯舞群島 水晶島・元島民 柏原榮さん(1)
ソ連兵が来ない嵐の日に島を脱出
うちのおやじは部落の会長やってたので、その確認のためにですね、根室に渡って、そして帰ってきたんですけどね、そしたら、やっぱり負けたということで、そのままここにいてもしようがないから復学ということで、そして、単身根室に渡ったんです。その後、水晶島が、ロシアの兵隊が入ってきたっていうことで連絡を受けて、親たちは、10月の終わりごろか11月の初めごろかな、大体、今ごろの季節に脱出を図るんですね。大体、根室に一番近いわけですから、8割ぐらいは脱出したんでないかと思うんです。 どういうときに脱出をするかというと、ロシアの兵隊はですね、志発島(しぼつとう)に本部があったのかな。そこから水晶島に見回りに来るっていうかね、志発、それから、勇留にもあったかもしれんね。 水晶島は後で何か駐留する、何人かね、駐留するっていう話は聞きましたけども、当時はなぎのいい日、海穏やかな日に水晶島に来て、島を回って帰るというような。だから、脱出するのは、結局、ロシアの兵隊が島に見回りに来ない日。だから、嵐の日ですね、向こうも船で来るわけですから。嵐を目がけ、しかも、発見されないようにするためには、夕方ということになるわけでしょうね。ですから、非常に条件の悪い中、脱出をして、みんな温根元とか、トウサンポロとかですね、それから、根室港に上陸をするという。 そういうことで、そういう情報が入って、温根元に上陸したのかね、一番水晶からは近いところですよね。納沙布岬のすぐ、オホーツクの左の向かい、海岸線にね、ありますからね、納沙布からはね。 そこから、珸瑤瑁の身内のところで番屋を借りて生活をしてたので、そこに2月…3月ごろかな、3月ごろ、根室の駅におりて、そして、珸瑤瑁まで歩いたっていうかね。結構雪も積もっておりましたのでね、はらぺこでも一生懸命歩いて、聞きながら、住まいにたどり着いたっていうかね。そして、そこで再会をしたと。姉と、両親と、妹はまだちっちゃいね、子供でしたからね、そういう記憶がありますね。