【証言・北方領土】歯舞群島 水晶島・元島民 柏原榮さん(1)
アイヌの人たちの思い出
あとは、そうだね、島の大きな行事、正月を迎えるときにはですね、隣近所の青年団が餅つきに歩くんですよね。朝2時ごろから起きて、3時頃から、べったんこ、べったんこっていう餅つきの音が聞こえて、そして、起きて、その餅を呼ばれるっていうか、そして、餅をついたら、また隣へ移っていくのかね、そういう正月を迎える準備の青年団の行事っちゅうのも思い出に残っていますね。 あとは、学校の行き帰りでは、アイヌの人が住んでいたチャシをですね、学校の帰り道、草で覆われ…草っていうか、カヤというか、それで穴の上を囲っているのを見つけてですね、のぞいてみたら、十二、三メートルぐらいの地下壕が掘ってあってですね、方形、四角い壕ですね、その真ん中に炉が刻んであって、そこにアイヌの人が住んでいるっていうことがわかったんですね。興味深く、そして、そういう好奇心と、恐る恐るというかね。 アイヌの人たちいうのは、絶壁の上に、そういうチャシをつくるっていうか。その絶壁を降りていって魚をとるというかね、そういう風習が、後でわかったんだけどもね、あるというふうな記録を読んでましたけどもね。アイヌの人と、島で会ったのは、うちで商売をしていたときに、昆布だけじゃなくてサケ、マス、ホタテ、フジコとやってましたからね、そのときの男工さんの中に、雇い人の中に、アイヌの人だっていうこと、1人いたのを記憶しています。体格のいい、そして毛深いというかね、ひげは生やしてなかったですね。しかし、印象に残ってるのは、ほんとに優しい、力持ちの、子どものころですから、青年っていうかね、そういう人が働いていたのを記憶にあります。 ですから、友だちが、ここはアイヌが住んでいたというようなことで、そこ見に行ったときに、その人のことを思い出したっていうかね。どんな人が住んでいたかはわかりませんでしたけどもね、恐る恐る、ひょっと見て、おっかないっちゅうことで、友だち、あのころは2人、3人だったかな、そっから立ち去るっていうかね、それが今でも印象として残っているということですね。そのぐらいかな。