【証言・北方領土】歯舞群島 水晶島・元島民 柏原榮さん(1)
終戦から71年経過しましたが、いまだに解決していないのが、北方領土の問題です。終戦直後の1945(昭和20)年8月28日から同9月5日にかけて、旧ソ連軍の侵攻により、北方4島が占領されました。北方領土で暮らしていた人たちは、その後、自力脱出したり、残された人たちは旧ソ連兵とその家族らとの混住生活を強いられた後、1947~48(昭和22~23)年にかけて、強制的に島を追われ、樺太経由で日本本土に送還させられています。 それから70年近くの日々が過ぎましたが、元島民はどんな歳月を過ごしてきたのでしょう。今も忘れられない故郷の生活や島への思いを語ってもらいました。 ---------- 柏原榮さん(85)=北海道根室市=は1931年生まれ。歯舞群島・水晶島(すいしょうとう)で育ちました。島での生活や、現在の思いについて話を聞きました。
全国各地で語り部活動
―語り部活動は多いですか? 歩きますね。語り部で、遠いところは四国のほうに行きましたね。北海道よりも本州のほうが多いです、私は。秋田から富山、それから、宮崎、名古屋、宮崎…そうだね、名古屋だね、名古屋、それから、四国ですね。そういうところを歩いてます。 ―頻度は? いや、多いときは1年に4回ぐらいかな。年とったからね。歩行さ、誰かつけないと危ねえんでないかなと思うのかも知らんけども。減ってったんですね。もうそういう状況で、今年は向こうから来るのが多いな。遠いところでは、奈良県から、関係者ね、県民会議ってのあるんですけどね、北方領土のことについて運動してるね、そういう県民会議の方々が根室に来られて、講話。それから、根室管内の小学生とかね、勉強に来るっていうか、青少年塾っちゅうのがあるのかな。そういうので、そこで話を子どもたちにするっちゅうかね、その程度ですね。 ―子どもに講話するときは、どれくらい時間をかけますか? そうですね、25分から、多いのでは1時間ですけどもね。地図は、ね、この背面にあるような、こういう地図を使うんですけども、最初にね、北方4島について、どれだけ関心があるのかというね、どんなことを聞きたいのか。つまりどんなこと勉強したいのかっちゅう、目的意識を持って来るわけですからね、そういうことを聞くんですけどもね。 そして、何ていうのかな、まず、話がこううまくかみ合うようにするためにはね、今、住んでるところと北方4島とのかかわりっちゅうかな、お父さんとか、お祖父さんとか、ね、これぐらいの人数の人たちが島に渡っていたというようなことですね。そうすると、手挙げるとね、お祖父ちゃん、お父さんとかって、こう出てくるんですよ。そういうことで親近感がこう出てくるっていうかね。そういうことで、できるだけ会話をしながら進めていくんですけどね。 北方4島、私は水晶島出身ですから、水晶島の話をするんですよね。納沙布にみんな行きますからね、一番最初に見えるところ、貝殻島で3.7キロですけれども、水晶島は7キロですから、ほんとにこの島影ははっきり見える。天気のいいときはね。そういうときにここで生まれて、こういう土地柄でっていうようなことで、自然、地形、それから、文化などですね、話をするんですよね。学校が二つあるとかね、神社がそれぞれの部落に一つずつあるとかね、そして、四季を通じて、どういう生活をしてるのか、子供の遊びはどうかとかね、それから、文化っつったら、何ちゅうか、神社を中心にして、いろんな踊りがあるんですけどもね。特に歴史の古い神社の話を、税庫前にある水晶島コトヒラ神社の話をするんですけどね。獅子舞。富山出身の人たちが多いですからね、私も富山なんです、父は。 だから、そういうことで、富山は、第2のふるさとっちゅうことになるのかな。そういうことで、富山には年に、今年はまだ行ってないんですけどもね、2回ぐらいは毎年行ってんですけどもね、そういう富山の文化を継承した人たちが島に広げてったっちゅう、そういう話ですね。