【証言・北方領土】歯舞群島 水晶島・元島民 柏原榮さん(1)
春、夏、秋……島をじゅうたんのように埋め尽くす草花
―差し支えなければ、講話でお話されるような感じで、水晶島での生活とか当時の様子を語ってもらえますか? はい、いいですね。中心になる部分だけね。 水晶島っちゅうのは納沙布岬から7キロ離れたところにある島。周囲が約24キロ、ね。平坦な、山のない平坦な島で、海岸線ゼロメートルのところが多い。一番高いところで18メートルという、湿原の島です。高層湿原っていうんですね。そういう島ですので、根室半島の続きというふうに地形的には言われているんですね。地理的には千島列島の中には入っていません、歯舞群島、それから、色丹島はね。そういうことで、そういう島で。 湿原の、高層湿原の島ということで、子供のころ感じたことは、美しい自然というかね、四季、春、夏、秋を通じて、草花が平坦な島をじゅうたんのように埋め尽くしているという。白い花、スズランですね、それから、紫、黄色、赤、赤はハマナスが、これ海岸線にはうっそうとして咲いて、島ん中ほどまで咲き続けているっていうか、もうそういう非常に四季を通じて美しい自然です。 平坦な島なので、高台に立つと、島全体の、上から見たっちゅうか、そういう景色が、島全体が目に入るっていうかね、そういうことです。 私は茂尻消(もしりけし)というところに住んでたんですけれども、小学校時代は。14歳まで住んでました。学校は、税庫前(ぜいこまえ)というところへ学校があって、そこまで約6キロ近くあったんですね、そこを海岸線を通り、高台を通って往復してたということです。 思い出はですね、振り返ってみると、そのころ時間割っちゅうのはないんですね。毎日、風呂敷に読本、これは国語の教科書ですね。昔は読本。あとは、歴史のような教科書があったように記憶しています。そういう教科の中身っちゅうのはそういうことですね。だから、読み書きソロバンって、昔言われてましたけどもね、そう、ソロバンもやりましたね。 学校には先生が1人。校長先生がお一人で教べんをとっていたので、教室は一つずつね、二つあったんですけれども、一つに、1年生から6年生まで、そこで勉強してた。だから、黒板の数が五、六枚ぐらいあったんでねえかと思うんですけどね。そこで1年生のときは、先生が指導するんですけども、2年生以上になったら、先輩等が教えてくれたり、ほとんど自学自習ですね、そういう勉強の仕方です。 そして、大体、始業時刻っちゅうのは9時ごろだったのかね、終わりは2時近くには終わってまして、そして、うちに帰るというかね、そういうことで。勉強は学校だけ、うちへ帰ったら、教科書の風呂敷を置いて、ほとんど砂場、岩場を走り回っていたというかね、そういう子ども時代っちゅうかね、小学校時代でしたね。