イスラエルは入植地を拡げ、パレスチナ難民は増える。政治風景を一変させた中東戦争
中東戦争に勝利し入植地を拡げるイスラエルに、パレスチナ人の英雄・アラファトが一矢を報いる――イスラエルとハマスの衝突が進める国際社会の分断。中東情勢の背景が良くわかる! と話題の書籍『なるほどそうだったのか!! パレスチナとイスラエル』より、一部を抜粋してお届けします。
中東戦争に勝利し入植地を拡げるイスラエル
いずれにしろ、こうして1948年にイスラエルが成立した。これをもって紛争が始まり、この紛争の歴史は、約60年とも言われている。 しかし、説明してきたように、問題が発生したのは、それ以前である。19世紀末に始まったヨーロッパのユダヤ人のパレスチナへの移民によって引き起こされている。 ただイスラエルの建国と同時にパレスチナ難民問題が発生した。つまり、60年の歴史として語れるのは、パレスチナ問題そのものではなく、その問題の中の一つの問題であるパレスチナ難民問題である。 イスラエルは、難民が故郷に戻るのを妨さまたげ、難民の残した家や土地を没収し、新たにヨーロッパや中東各国から移民してきたユダヤ人に与えた。 イスラエルの存在を認めない周辺のアラブ諸国と、イスラエルの間に対立が続いた。そして1956年にスエズ戦争とも言われる第二次中東戦争が、さらに、1967年に第三次中東戦争が起こった。 第三次中東戦争では、イスラエルがエジプト、ヨルダン、シリアを打ち破った。エジプトからはガザを、ヨルダンからはヨルダン川西岸地区を奪った。これでパレスチナの地のすべてが、イスラエルの支配下に入った。
さらにエジプトからはシナイ半島を、シリアからはゴラン高原を奪った(次の「第三次中東戦争」後のパレスチナと周辺の地図を参照)。これらは歴史的にパレスチナと考えられてきた範囲の外側の土地である。この戦争は6日間で終了し、中東の政治風景を一変させた。 この戦争でイスラエルが新たに支配下に収めた土地、つまりヨルダン川西岸、ガザ地区、シナイ半島、ゴラン高原は、国際法上は占領地とされる。しかし、この占領地にユダヤ人が移り住み始めた。これを入植と呼び、占領地でユダヤ人が住んでいる地域を入植地と呼ぶ。この戦争以降、現在に至るまで入植地は拡大を続けている。