生物には必要な睡眠時間が「設定」されている…? 睡眠不足が教えてくれること
私たちはなぜ眠り、起きるのか? 長い間、生物は「脳を休めるために眠る」と考えられてきたが、本当なのだろうか。 【写真】考えたことがない、「脳がなくても眠る」という衝撃の事実…! 「脳をもたない生物ヒドラも眠る」という新発見で世界を驚かせた気鋭の研究者がはなつ極上のサイエンスミステリー『睡眠の起源』では、自身の経験と睡眠の生物学史を交えながら「睡眠と意識の謎」に迫っている。 (*本記事は金谷啓之『睡眠の起源』から抜粋・再編集したものです)
眠りのホメオスタシス
私は生き物を観察していて、いつも思うことがある。生き物が歩む道は、平坦ではない。いつも外部から加わるさまざまな変化に影響されるのだ。 庭先のミカンの木にいた青虫たちも、猛暑で想定以上の高温にさらされることもあれば、雨が降って濡れてしまうこともある。台風が来て、ミカンの木の枝が折れてしまうことだってあるだろう。それでも彼らは、さまざまな環境の変化に耐えながら、自身の状態を保ち、命を全うしようとする。 生命は強靱だ。その逞しさは、環境の変化に負けず自らの状態を保とうとする力から生まれている。生命がある一定の状態を保とうとする性質──生物学では、それをホメオスタシス(homeostasis)と呼ぶ。 homeostasisという言葉は、ギリシャ語で「同一」を意味するhomeoと、「平衡状態」を意味するstasisを組み合わせたものである。外部の環境が変化して生命に影響を及ぼしたとき、生命はそれに抗う力を発揮して、一定の状態に保とうとする。 一例として、ヒトの体温調節を考えてみたい。 私たちは寒い環境に身を置くと、体の表面から冷えていき、もしそのまま何もしなければ、深部体温も下がって命が危険になる。しかしそんな状況で、ヒトは、寒さに抗って体温を保とうとする力を発揮する。どのような力かといえば、寒い環境では、まず褐色脂肪細胞と呼ばれる細胞が、脂肪を分解して熱を発生させる。この熱によって、体温がある程度維持されるのだ。それでも足りず、さらに熱が必要な際には、筋肉を震わせて熱を発生させようとする。いわゆる、寒さによる「震え」だ。さらに、体毛の濃い動物は、寒いときに立毛筋を収縮させ、毛を立てる。すると断熱効果が高まり、熱を逃がしにくくなるのだ。ヒトの場合にはほとんど意味がないのだが、私たちも寒いときに鳥肌が立つのは、このしくみの名残である。 逆に暑いときはどうだろう。暑い状況では汗をかくことで、体の表面を濡らし、汗が蒸発する際の気化熱によって体を冷ますのだ。 寒いときに体が震えるのも、暑いときに汗をかくのも、私たちの意思ではない。意思とは関係なく、もともと体に備わっているしくみによって、自動的に調節されている。これは、エアコンを冷暖自動運転にしておくと、設定温度に向けて自動で調節しながら運転してくれるしくみによく似ている。分かりやすい例として体温を取り上げたが、生命には、こうしたホメオスタシスのしくみが、無数に備わっている。 睡眠は、ホメオスタシスと関連しているのか──。眠らないでいると、全身に影響が生じる。ラットを断眠させると、皮膚に異常が出たり胃潰瘍になったりする。組織や臓器の状態、さらに全身の状態が、正常から逸脱するということだ。睡眠の不足は、ホメオスタシスの乱れにつながる。睡眠は、生命のメンテナンスに、とても大切な役割を果たしているのだろう。 しかし、ここでもう一歩踏み込んで考えてみると、睡眠という現象自体が、ホメオスタシスの性質を持ち合わせていると考えることはできないだろうか。 睡眠が不足すると、まだ眠りたいと感じる。夜更かしをした場合などは分かりやすい。朝に目覚ましが鳴っても、眠気が強くて「まだもう少し眠りたい」と感じる。それは、睡眠の不足に対し、抗って眠らせようとする力だと解釈することもできる。まるで設定温度から逸脱したときに、エアコンが回りはじめるかのようだ。必要な睡眠時間が「設定」されているのではないか。 つづく「なぜ「寝だめ」は意味がないのか…意外と知らない「睡眠のしくみ」」では、多くの人がついついやってしまう寝だめの不思議について紹介していく。
金谷 啓之