汚職と脅迫に基づくプーチンの超長期政権 権力の私物化が招いたウクライナ侵攻
KGB出身の大統領
1980年代から90年代初頭にかけて、プーチン氏はソ連崩壊の悲哀を痛切に身に感じた。政府への幻滅、経済の崩壊、生活苦が、プーチン氏を襲った。しかしその一方で、プーチン氏はサプチャーク氏との出会いをきっかけに政治の世界に足を踏み出し、その後は一定の紆余曲折はあったものの、出世街道をひた走ることになる。
サプチャーク氏が再選に失敗すると、プーチン氏は大統領の資産を管理する部署で働くために、1996年にモスクワに異動した。これが、大きな転機となる。プーチン氏は翌年の1997年3月には、ロシア大統領府副長官に昇格。さらにその後はロシア連邦保安庁(FSB)長官を務め、1999年8月には第一副首相となり、間もなく首相となった。 そしてエリツィン大統領はプーチン氏を後継に指名し、1999年12月に辞任。プーチン氏が大統領代行となり、翌年3月の大統領選で勝利し、5月には大統領に就任した。その後、憲法の規定に従っていったんは大統領の座を降りるが、実質的な最高権力者としての立場を維持し続け、2012年に大統領に返り咲いて以降は、その座を保ち続けている。 プーチン氏が異様なスピードで出世を遂げた背景には多くの要素があるが、KGBの工作員として培ったスキルがプーチン氏にとり大きく役立ったことは間違いない。プーチン氏は自身がKGBで務めたキャリアを誇りに思っており、大統領就任当初の海外メディアに対するインタビューで、そこで培った能力がロシアのトップを務める上で重要な役割を担っていると明言している。 工作員として培った能力とは何か。それは具体的には、〝人間と情報に対処する能力〟だとプーチン氏は語っている。 「相手に敬意を払いつつ、最高のものを引き出す。相手を仲間に引き入れ、自分と共通の目標があるということを感じさせるスキル」だとプーチン氏は語る。そして、「大量の情報から最も重要なものを引き出し、処理し、利用するスキル」だと述べている。 やや、上品すぎる言葉とも感じられる。工作員にとり、人間に対処するとはつまり、相手の心を分析し、つかむことで、相手を意のままに操る技能だ。時にそれは、相手の弱みをつかみ、コントロールすることも厭わない。かつてのKGBのように、単に相手を抑圧して、投獄や抹殺、または教育するのではなく、強い忍耐力と繊細さを駆使して、相手を取り込む能力だといえる。そのような能力が、プーチン氏が出世する上での大きな推進力となった。