年末に「ご縁」について振り返る。直感が来たら、ピョンと乗る勇気を持とう【フリーアナウンサー住吉美紀】
それは、「東大寺」「西大寺」、そして1100年以上前から狩猟と伐採が禁止され、春日大社の神域として守られてきた国の特別天然記念物「春日山原始林」を、それぞれ濃厚な解説付きで巡るという、私のような神社仏閣好き、日本の精神世界に興味関心がある人にとって、垂涎の内容だった。 強い北風が吹き、山も寺も驚くほど底冷えする寒い中であったが、そんなことは気にならないくらいワクワク続きの一日。知らないことばかりで、どの話も聞き逃すまいと、かじかんだ手で必死にメモを取った。 例えば、春日原始林は、元来神の宿る山として尊崇されていた場所に、仏教が伝来して東大寺や興福寺の僧が修行に入った場所だという。山中には、鎌倉時代に興福寺から運ばれ、修行僧が禊を行じた(水を被って自らを清めた)、水を溜めることができる、2メートルほどの石舟が今も残っていた。 人が行き交ったその証拠のすぐそばには、「春日杉」と言われる、樹齢500年を超える杉の倒木がそのままになっている。古の人が神が宿ると感じた自然の潔い強さと、自然と共に生きた人たちの感覚を肌に感じ、私は大切にその場の空気を吸いこんだ。 そして、50代の私の心に一番響いた話は、東大寺建立にまつわるストーリーだ。岡本先生と親交のある東大寺の僧侶、森本公穰さんが、台座を入れると18メートルある大仏を見上げるような場所で、お話を聞かせてくださった。 東大寺が造られた奈良時代、全国の人口は500万人ほどだった。しかし、当時、地震や飢饉、天然痘など伝染病も流行り、100万人ほどが亡くなったという。そんな風に社会が大変な中、24歳で即位した聖武天皇は、まだまだ自分には徳が足りないと悩み、その後、仏教による国づくりに思い至る。各地に拠点として「国分寺」や「国分尼寺」を建設し、僧侶を教育し、国家公務員のようにそこに派遣し、文化や農業技術、街のインフラをつくる技術などを発信して国づくりを進めた。 その総まとめとして、みんなで拝める大きな仏像を都につくろうと、743年に「大仏造顕の詔」を発して呼びかけた。人々の暮らしが困難に満ち、中には仏像どころではないと思う民もいるであろう中、その呼びかけた内容がまず素敵なのだ。 私は天皇で国中のお金と権力を持ってるから、大仏を作るのは容易いことです。けれど、もしもそうやって作ったら「形はなり易し、けれど心は至り難し」、つまり、心の入っていない、形ばかりの公共事業になる。掲げる目的は「動植ことごとく栄えることを欲す」、つまり動物も植物も栄えるような国を作ろう、これに賛同するなら、みなさん協力してください。例えば、土をひと掴み運ぶ、藁をひと掴み運ぶ、それでもいいので、やろうという気になったら一緒にやってほしい。
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