「予備知識ゼロ」のほうが有利!…これまで無理解と誤解にさらされてきた難解な「フッサール現象学」を「誰でも理解できる方法」
予備知識なしで重要哲学書がわかる講談社現代新書「超解読」シリーズの最新作、竹田青嗣+荒井訓『超解読!はじめてのフッサール『イデーン』』が刊行される。今回は、フッサール『イデーン』の超解読だ。哲学者の竹田青嗣氏と荒井訓氏が、ヨーロッパ哲学の最大の難問=認識論の謎を解明した20世紀哲学の最高峰を「可能なすべての努力を払って」わかりやすくかみ砕いて解説した。 【画像】「スーパーサイヤ人の闘い」といわれたヘーゲル研究会とは何だったのか ヨーロッパ哲学にパラダイム転換をもたらし、人間と社会についての新しい「本質学」の道を開くこととなった現象学の核心に迫るこの本は、むしろ予備知識ゼロの人のほうが、正しい理解にまっすぐたどりつけるらしい。本書の読みかたを、共著者の一人・竹田青嗣氏が伝えてくれる。 (本記事は、竹田青嗣+荒井訓『超解読!はじめてのフッサール『イデーン』』(12月26日発売)から抜粋・編集したものです。)
先入見なしに読め!
『イデーン』はフッサール現象学の主著であり、現象学の根本方法は、『イデーン』の解読とその完全な理解なしには把握されえない。 しかし、私見では、すでに世上にあるさまざまな現象学解釈を見るかぎり、「現象学的還元」とその応用である「本質観取」という二つの根本方法は、これまで正しく理解されてきたとはいえない。それにはいくつかの理由があるのだが、これについてはのちに触れる。 フッサールのテクストはたいへん難解である。しかし現象学の方法の本質を適切に追いつめれば、その根本構図はきわめてシンプルであり、誰にも把握することができるものだ。 私は本書で、一般の読者が現象学の方法のエッセンスを理解できるように、可能なすべての努力を払った。 本書を先入見なしに『イデーン』本文とあわせて読解する者は、現象学の根本動機と方法をはじめて完全に理解する読者となるだろう。そして、現象学がヨーロッパの哲学史にとってもつ画期的な意義をはじめて把握することになると思う。
現象学の根本動機をひとことで言えば
序論として、「認識問題の現象学的解明」をおいた。これまでの一般的な現象学理解を修正する現象学の根本動機と方法についての総論なので、やや長い序論となった。 なので読者は、ここを飛ばしてまず対訳的解読に入り、最後の総括としてこれを読んでもよい。しかし序論の二節、五節、六節は、『イデーン』の解読の上で助けになる用語解説を含むので、事前に読んでおくか、あるいはそのつどここに戻りつつ読むことを勧める。 現象学の根本動機はひとことで「認識問題の解明」だといえる。ヨーロッパ哲学には古くから認識問題の難問が存在し、それはギリシャ哲学から現代にいたるまで続いている。つまり、普遍認識(客観認識を含む)は可能かという問いだ。 これに対して、「普遍認識は不可能である」という強力な主張が存在する。これが哲学的懐疑主義─相対主義である。 懐疑論者は主張する。普遍認識が存在するには「主観」(認識)が「客観」(存在)に一致する必要がある。しかしこの「一致」は論理的に証明不可能である。人間の認識はどこまでも主観の認識であり、人間は自分の認識が「客観」に一致しているかどうかを「主観」の外に出て確かめることができない。これが「主観と客観の一致はない」という認識問題のアポリア(難問)である。 普遍認識が不可能であるならあらゆる認識は相対的なものとなり、これは普遍認識をめがける哲学の否定を意味する。そのため多くの優れた哲学者がこれに反駁しようとしてきた。しかしこの主張はきわめて強力で、いまだこの反駁に成功したものはいない。これが認識問題の大きな背景である。