美術家の飯山由貴らが「行政による人権侵害を考える会・関東」を発足。朝鮮人労働者追悼碑撤去問題、《In-Mates》上映不許可問題などを問う
「いなかったことにする暴力」に抗うために、言葉だけでない言葉を大切にする
ジェンダーやセクシャリティ、人種やエスニシティなど、社会的な差異や違いによって生じる排除や抑圧の問題について研究を重ねてきた宮﨑は、本来ならば人権を尊重する立場にあるはずの行政が行った人権侵害は「人々の間に線を引くものだ」と問題提起をする。 補助金の停止や無償化の除外は、表面的には金銭的な問題かもしれません。 しかし、朝鮮学校に通う子供たちは排除しても良い、様々な権利の枠組みの外に置かれても良いという雰囲気が作られ、その後攻撃やヘイトスピーチも頻発しました。 そのような状況であるにも関わらず『人権の問題ではない』という言葉が発された時、人々の間に線が引かれました。 権利の対象になる人/ならない人を分け、差別はあった/なかったという線を行政が引くことによって、私たちと外部に置かれる人を作り出す線が引かれます。(宮﨑) ある人々を人間としての承認可能性から外すことで、一方の生を価値のある生として承認し、他方の生を価値のないものとする「いなかったことにする暴力」が生まれる。宮崎によると、「記者会見で語られた様々な事例は、それぞれが別の出来事であるが地続き」であるという。 「行政による人権侵害を考える会・関東」は、そうした「いなかったことにする暴力」に抗うために、歌うこと、詩をしたためること、花を持ち寄ること、種を蒔くことなど、他者と接続される可能性を持った表現を大切にしながら、模索し、行動を起こしていく。
悪いことが沢山起きている。けれど、会が生まれたことにはひとつの希望がある
印象に残っているのは、飯山が語った希望という一言だ。《In-Mates》上映不許可問題において、2022年の10月28日に飯山は同じ場所である厚生労働省の会見場において記者会見を行った。1年半が経過し、同じ部屋で会発足の話ができることを「少しの希望だ」と感じるという。 どんどん悪いことが起きている状況です。けれど、流されるだけではなく、関係者でネットワークを作り、少しでも押し戻していく。これ以上悪くなることをとどめる、悪いことに対しておかしいと言える声を作る集団であり続けたいと思います。(飯山) 今後の活動については、それぞれの問題について行動を起こしていくとともに、会全体としてフィールドワークやアクティビティを中心とした学習会を行っていく。直近では、神奈川県相模原市の人権尊重のまちづくり条例の制定過程における問題について学ぶ機会を作っていく予定だ。今後SNSアカウントなどを開設し、活動の情報を発信していく。 ※この記事での「在日朝鮮人」という語の「朝鮮」は、出自としての朝鮮民族、出身者としての朝鮮半島を表すものであり、特定の国籍や政治的な対場を指し示すものではない。差別的意図をもって使われてきた「朝鮮」という言葉をそうした文脈から解放するという意味においても、「行政による人権侵害を考える会・関東」は「在日朝鮮人」という呼称を大切にしている。
ShinoArata