10歳のとき、命を懸けた「冷たい社会への復讐」を誓った...泉房穂氏が語る、成功を導く「力の源泉」
<明石市長として「冷たい社会」を実際に変えてきた泉房穂氏の著書『社会の変え方』が、「ビジネス書グランプリ」政治・経済部門賞を受賞>
「冷たい社会を変えたい」という強い覚悟が、実際に社会を変える力となる。NHKなどマスメディアを経験したのち、弁護士資格を取得、周囲の推薦により衆議院議員として活動した泉房穂さんは、2023年まで3期12年、明石市長を務め、「やさしい社会とは何か」を世に問いました。 ●日本だけ給料が上がらない謎…その原因をはっきり示す4つのグラフ その軌跡をたどった著書『社会の変え方』(ライツ社)は「読者が選ぶビジネス書グランプリ2024」で政治・経済部門賞を受賞しています。泉さんはどのような思いを重ねて、あきらめずに進み続ける力を得ているのか。受賞記念インタビューの模様をお伝えします。※グロービス経営大学院の教員である嶋田毅さんから泉さんへのインタビューを再構成しています。(※この記事は、本の要約サービス「flier(フライヤー)」からの転載です) ■冷たい社会への復讐 ──このたびは、受賞おめでとうございます。ご自身の本がビジネスパーソンの方々に選ばれたことについて、ご感想をお聞かせください。 『社会の変え方』には特に思い入れが強いので、とてもうれしいです。 この本は明石市長としての12年間を終えるにあたっての「卒業論文」であると同時に、「冷たい社会への復讐」を考えてきた、私の生きざまのすべてを込めています。「社会の変え方」というタイトルは明石の出版社・ライツ社さんのほうでつけてくれたもので、本当に良いですよね。帯に入っている「日本の政治をあきらめていたすべての人へ」という言葉も好きです。この本は、あきらめを希望に変える本なんですよ。 その意味でも、ビジネスパーソンをはじめたくさんの方に読んでいただきたいので、ありがたく思います。 ──ビジネスパーソンの多くは、会社のなかで自由にやりきれず、政治の閉塞感と似たような感覚を持っているのかもしれません。 本書は幼少期のつらい思い出から始まりますが、そこに、先ほど泉さんがおっしゃられた「冷たい社会への復讐」というキーワードがありました。これまでの人生において、「冷たい社会への復讐」という思いはどう変化していったのでしょうか。 私は今年還暦を迎えますが、同窓会に出席すると「同級生のなかで一番変わっていない」と必ず言われるんです。10歳の少年が立てた「冷たい社会を変えてみせる」という誓いを言い続けてきた人生ですから、そのブレのなさが周囲にも伝わっているのでしょうね。その意味で、思いはずっと変わっていません。 ただ、「冷たい社会」を変えた先にある「やさしい社会」のつくり方はたくさんあります。大学生時代の活動も、NHKや民放でメディアの人間として発信していたことも、社会の理不尽を世に問いたいという思いは同じですが、経験したことはまったく違っています。弁護士として、本当に困っている人に本気で寄り添い、個別救済とは何かを考えました。そこからお声がけいただいて国政に出れば、国会や中央省庁の限界も知ることができた。そういうことが全部つながるかたちで、12年間の明石市長職があった。 職業はいろいろ変わっていますが、職業は私にとって、「冷たい社会を変える」という目的を達成するための山道の選択にすぎません。 ──最初からキャリアを意識していたというより、キャリアは目的達成の方法を学ぶためのもので、それらがすべて、明石市長としての実績に結実したのですね。 そういう意味では、私のなかで「人生を一周終えた感覚」に近いかもしれません。やることをやり遂げた、大きな充実感でいっぱいです。冷たい、寄り添ってくれない街を、「重たい荷物を持ちましょうか」とみんなが言える街に変えたくて、本当にそうなりましたから。明石は政策も街の風景も変わったけれど、それ以上に変わったのは人のやさしさ。わずか12年で街が変わったと、市民のみなさんからほんまに言われるんです。本当に困っているときに助け合える、そういう街をつくりたいという思いを、自分は叶えられたと考えています。 ──「復讐」は若干強めのことばのように感じたのですが、「冷たい社会に復讐したい」という話は周りの方にも語り続けてきたのですか。 たしかに「復讐」というキーワードは、人にペラペラしゃべるようなものではありません。でも、今回本を書くにあたって自分の気持ちを整理してみたとき、一番しっくりきたのが「復讐」だった。ただ、この場合の「復讐」は人に対するものではなくて、理不尽な制度や社会、世の中に対する怒りを示しています。 子どものときから、友人も、近所の人も、学校の先生も、みんな個人としては決して悪い人ではなかった。それなのに、障害を抱える弟はどうしてこんなに冷たい目で見られるんだろう。うちの親父は一生懸命働いているはずなのに、どうしておかずを食べられないんだろう。がんばっても報われない、障害があるというだけで排除される社会に対する、激しい憤り。それをなんとかしたいという強い思いがエネルギーになっていた。その強さを表すことばが、「復讐」でした。 そうして10歳のときに、自分の一生を捧げる誓いを立てた。冷たい社会を変えるために自分の命をくれてやる、それくらいの半端ない強さだと思っています。