10歳のとき、命を懸けた「冷たい社会への復讐」を誓った...泉房穂氏が語る、成功を導く「力の源泉」
四面楚歌の状況も変えられる
──その思いで実行されたことについて、助けてくれる人もいれば抵抗勢力みたいな方もいましたよね。泉さんは明石市長として、その強い信念で周りを巻き込んでいく力がありましたが、それにはどのような姿勢が反映されていたのでしょうか。 私には政治という場と、市長という立場の2つがありました。政治は利害関係のぶつかるところですから、すべての人が一瞬で「いいよ」となるのは難しい。方針転換に賛同する人も、転換されたくない人もいます。一方、市長は「大統領制」のような世界で、選ばれた者としての権限を行使できるし、トップダウン的なことも可能です。 その状況における私の姿勢をシンプルに表現するなら、「市民とともにやる」ということです。選挙も市民だけで勝ち切る。市長になった後も、市民たちの声を聞き、市民とともに街をつくるということを徹底してきました。 ビジネスの世界でもそういうことはあると思いますが、四面楚歌は覚悟のうえです。選んでくれた市民は味方でも、市長の仕事を取り囲む、職員、議会、マスコミ、国・県の「四面」はまったく味方じゃなかった。それでも、「四面」の外で歌っている市民は私を応援してくれていた。その市民の歌声が「四面」をも変えていったのです。 ──市民がバックにいることが、ご自身を支えていた部分は大きかったのでしょうか。 後ろから支えられているというより、横に並んでいる気持ちです。私の場合は、「みなさんよろしく」ではなく、「私たちの街を私たちで変えよう」ですから、私はあくまで市民の一人。市民が撃たれそうになったら、横からそれを遮って「私を撃て」というような。そうして、理不尽な社会から体を張って市民を守る存在が私です。 市民のことを気にかけていれば、溺れかけていることもきちんと見える。だからそうした市民を助ける。助けられた側はその事実がわかっているし、それを見ていた周りの市民も「ありがとう」と言ってくれます。最初は、勝手な市長だ、顔を潰されたと考えていた職員や議会も、市民の声を聞いて徐々に変わっていく。 ──市民がうれしがっていることを実感できると、市役所の方も変わるのですね。 そうなんです。政治は結果責任とよく言いますが、政治の結果は当選ではなく市民の笑顔です。それを意識していれば、市民の側も反応していきます。 市民からの「ありがとう」が増えれば、四面楚歌の状況も順々に変わっていく。役所の職員には誇りが出てきます。そうすると、職員の仕事はどんどん市民目線になっていきました。昔は役所に行っても窓口まで行かないと話を聞いてくれないし、部署をたらい回しにされることも日常茶飯事でした。それがいまは、職員が走ってきて「今日はどのような用事ですか」と聞いてくれるし、職員の側から担当を連れてきてくれるようになりました。 議会も、市民が動けば変わります。たとえば、私も思い入れが強い、優生保護法にかんする条例の一件が象徴的です。私が2度、条例案を提出しても、議会でまともに扱ってもらえなかった。すると市民が私に会いに来て、「市長が動くとかえってトラブルになるから、動かないでください、私たちが説得します」と言ってくれた。そうして、市民に説得された議会が賛成に転じて、全国初の条例ができた。あれは市民がつくった条例なんですよ。 マスコミは、私の悪口を聞きたくて駅前インタビューをしても、ほとんど素材が撮れなかったそうです。マイクの前に立ったある市民は、「ごめんねぇ、口が悪くって、あの人育ちも悪いからね、でも一生懸命なだけなんよ、あんまり叩かんでおいてな」と言ったとか。ネガティブキャンペーンをはってはいても、マスコミもずっと街にいたから、そうした市民の反応に気づいて、途中から叩き方を変えた気がしますね。 国だけは最後まで悩ましかったです。 ■地球儀を見る感覚と徹底した現場目線の両立 ──リーダー層に泉さんのような人が増えれば、企業のなかで「無理だ」と思い込んでいるような人でも変われるかもしれませんね。 明石市は100を超える「全国初」を実施していますが、私がすべて考えているのではなくて、途中からはほぼ職員からの発案なんですよ。 市長になった当初、職員側には3つの思い込みがあったので、内容を聞こうともせず「全国初はダメです!」と抵抗していました。上の命令に従う「お上意識」、ほかの街とは違うことをしようとしない「横並び」、過去に倣う「前例主義」の3つです。これに真っ向勝負を挑むのが「全国初」という動きなんです。全国初は、国からの指示もない、隣町とも違う、当然過去にも事例がないものですから。 でも、私がそういう抵抗をよそに実行して、しかもそれが市民にウケると、職員も当たり前のように提案してくるようになりました。たとえば、明石市では、小学校の女子トイレに生理用ナプキンも置いています。それ自体はニュージーランドで始まったことですが、それを知った職員が、「明石市でやってもいいですか」と言いに来たんです。 そんなふうに、ほかでの成功事例を参考にして、明石に合うようにアレンジする。養育費の立替えは、ヨーロッパでは1990年代から、アジアでは韓国が6、7年前に始めています。先に韓国で実現できているなら隣の日本でもできるはず。狭い日本から飛び出して地球儀を見る感覚が必要です。