元巨人・林昌範さんが家業の教習所で奮闘 DeNA創設年のドタバタも「今の仕事に大きなプラス」
プロ野球の巨人・日本ハム・DeNAで主に中継ぎ投手として活躍した林昌範さん(40)は、2017年の現役引退後、家業の船橋中央自動車学校(千葉県船橋市)に入りました。高卒で入団して野球一筋だった林さんは、パソコンや簿記などを一から覚え、今は専務として系列校の運営を任されています。今も野球界と接点を持ちながら、新球団で模索したファンサービス、野球界のIT革命、投手としての評価のされ方、契約交渉といったプロ野球選手としての経験を、従業員とのコミュニケーションや人事評価制度の構築に生かしています。少子化などの中で、新しい教習所のあり方を模索する林さんの挑戦を、前後編で伝えます。
教習所が「遊び場」だった
現役時代は186センチ、80キロ。ユニホームからスーツに戦闘服を変えても、がっしりとした体格は現役時代をほうふつとさせます。林さんは今、東京都内の自宅から2時間かけて、職場に通っています。 教習所は普通車60台、バイク20台、大型車両3台、中型車両2台、牽引車や送迎バス10台などを保有しています。2校合わせて年間約4500人が卒業し、職員数も約100人にのぼります。林さんは専務として鎌ヶ谷自動車学校の運営を任され、2校分の経理や顧客データの管理、役員会議への出席や会議の資料作成など、業務も多岐にわたります。自宅に戻るのが夜遅くになる日も珍しくありません。 林さんは市立船橋高校から、2001年のドラフト7巡目で巨人に入団。2年目から中継ぎ投手として頭角を現し、移籍した日本ハム、DeNAでも活躍して、16年のプロ生活で22勝26敗22セーブ99ホールドの成績を残しました。 父の敬さんは1971年に、船橋中央自動車学校を創立しました。野球に夢中だった林さんが子どものころ、教習所は「遊び場」でした。当時定休日だった水曜日になると、教習所の広い敷地で誰にも邪魔されず、遠投の練習を好きなだけやっていたといいます。 経営者としての父について、林さんは「徹夜で仕事をしていることもあったし、大変だなという印象が強かったです」。 社員旅行に一緒に参加することもあり、教習指導員からはかわいがってもらったといいます。「職員の方々はお兄さんやおじさんのような存在。そこで自分が働くというイメージは全くありませんでした」 野球でめきめき力をつけ、強豪の市立船橋高校でも活躍。父からは「将来自動車学校を継いでほしい」と言われますが、林さんは「当時は後継ぎになる意味を深く理解していませんでしたし、プロ野球選手の夢も近づいていました。父からの言葉は耳をふさいでいましたね」と振り返ります。 林さんは2001年に巨人からドラフト指名され、夢をかなえます。「父は20歳代半ばくらいまでは好きな野球をやって、後継者になるのはその後でも遅くないと考えていたようでした」 2年目から1軍の試合で活躍し、その後結婚。シーズン中はもちろん、オフに入れば自主トレーニングやキャンプもあり、16年間の現役時代はゆっくり実家でくつろぐ時間もありませんでした。