コーチ不在 川内の限界
“市民ランナー”川内優輝が惨敗した。 日差しにさらされる耐久マラソンになった世界選手権の男子マラソン。 「帽子の対策もうまくいったし、給水でも氷水をかけながら走って暑さを感じなかった部分もあったので、暑さ対策もけっこう克服した部分はあったと思う」 と話す川内優輝は、中間点手前から遅れ始めると、メダル争いにも絡めず2時間15分35秒での18位に終わった。11年に続く2回目の出場だった世界陸上での惨敗。そうなってしまった要因のひとつに、力みもあった。 彼が口にする敗因は、序盤から激しく続いた揺さぶりに反応してしまい、前半で力を使い果たしてしまったということだ。最初の入りが15分55秒と遅かった5kmまでは、集団の中段辺りで冷静な走りをしていた。だが5~10kmのペースが15分8秒に上がる中、7km付近からは集団の前のほうに位置を移したのだ。 「中本さんも最初は同じような位置にいたけど、その後は集団の後ろの方に下がっていたし、ケニア勢も後ろに控えていた。でも僕はそのペースにはまってしまい、『このまま行け!』という感じで行ってしまった。その結果、20km過ぎから遅れたのだと思います」 こう話す川内は、レース前からこのレースに進退をかけると口にしていた。「自分は黒人選手たちよりも暑さに弱い。この後15年の世界陸上北京大会や16年リオデジャネイロ五輪は暑さの中のマラソンになるはず。比較的涼しいモスクワで結果を出せなければ、これからの方向性を考えるしかない」と話した。「ダメだった場合は夏のマラソンを諦め、秋 や冬のマラソンにシフトしていかなければいけないかもしれない」と。 そんな思いが結果を出すことへの焦りを生んだのだろう。だからこそ極力体力を失わないように走るべきで序盤でアフリカ勢の揺さぶりに過剰反応し、体力を無駄に消耗してしまったのだ。「日本代表として走る限りは、本番で結果を出さなければ意味がない」、「この大会で結果を出さなければ先が見えてこない」と思い込む彼の生真面目な性格が、レース作りを見極めるべきところで冷静さを欠かせたのだろう。 そこには何もかもひとりで考えてひとりで実行するという、川内のマラソンスタイルへの限界ということも見え隠れする。 「今回実業団の選手たちと話して、彼らが凄まじい練習をしていると知ったし、 自分の甘さも感じさせられた」という川内だが、毎週のように出場するレースをポイント練習がわりにしていく手法自体は、これまで結果を出していることを考えても間違いとはいえないだろう。