「岩倉具視の五百円札」に「板垣退助の百円札」…昭和の紙幣が「現役バリバリ」だった頃の「驚き」と「面倒さ」
だいたい20年ごとにお札は変わっている
紙幣が変わる。 千円札が北里柴三郎。 五千円札が津田梅子。 一万円札が渋沢栄一。 この三人で、この先たぶん20年くらいはやっていくのだろう。 【マンガ】5200万円を相続した家族が青ざめた…税務署からの突然の“お知らせ” 自販機とか券売機とかの入れ替えとか、かなり大変なんだろうなとおもう。 この前にお札が変わったのが20年前の平成16年(2004)で、その前がさらに20年前の昭和59年(1984年)だった。 つまり、そこそこ日本人をやっていると、だいたい20年ごとにお札が変わるのか、ということに慣れてくる。 次が果たして2044年に変わるのかどうかは、これはわからないけどね。でも我が国は20年でそこまでキャッシュレスが進むともおもえないので、やはり変わるのではないかとおもうが、でも、わからない。 若いころは、なんで紙幣を変えるんだろうと不思議におもっていたが、年を取ると、二十年くらいで取り替えなきゃいけないんだろうという社会のシステムも何となくわかってくる。何にせよ定期的なメンテナンスというのは必要なものなのだ。 お札が変わると、そのメンバーの入れ替えってことにもなる。 いまのメンバー(2004~2024)は、まあ、ご存知のメンバーである。
40年間トップを張ってきた福沢先生
千円札が野口英世。 五千円は樋口一葉。 一万円札は福沢諭吉。 その前の「1984~2004メンバー」はこの人たちだった。 千円札が夏目漱石 五千円が新渡戸稲造 一万円が福沢諭吉 そういえば福沢先生は、ここ40年ずっと一万円札としてトップを張ってきていたのだったと、あらためておもう。 20年ごとだから、1984年の前は1964年だったかというと、そういうわけではない。まだそのころはうちの国は流動的だったのだ。 1980年以降が「動かなくなった時代」だったということがあらためてわかる。 1984年の前のお札の入れ替えは、だいたい1957年(昭和32)から1963年(昭和38)あたりにおこなわれた。 そもそも五千円札と一万円札が出来たのが1957年と1958年である。それまでは千円札が最高額の紙幣であった。 そのころは、だから五百円札と百円札もあった。五十円札、十円札、一円札などもあったのだけれど、これは1958年(昭和33)生まれの私は手にしたことがない。そういえば私は一万円札と東京タワーとおない年である。 子供がリアルに札や硬貨を手にするのは4歳か5歳くらいだろうから1963年ころには高橋是清の五十円札は見かけなかった。五十円は硬貨だった。もちろん十円、五円、一円も「玉」である。 百円札と五百円札は1960年代はばりばり現役の紙幣だった。 だから1984年に変わるまでのお札メンバーはこうだった。