和田秀樹さんが、高齢医療に携わって目撃した「老後に後悔する人」
人生の後半に入った時、私たちは自分の人生を振り返って、後悔や不安を感じることがあります。人生に悔いを残さないために必要なこととは? 精神科医の和田秀樹さんによる書籍『本当の人生』(PHP研究所)より、自身の経験を交えながら、「自己決定」を行う大切さについて紹介します。 【図】日本人が幸福を感じる出来事 ※本稿は、和田秀樹著『本当の人生』(PHP研究所)より、内容を一部抜粋・編集したものです。
十分な情報を集め、本当の自分の声に従って自己決定したほうが悔いがない
高齢者専門の医者、とくに精神科の医者をやっていると、死ぬ間際に、あるいはだんだん死のフェーズに入ってきたことを自覚したときに、いろいろと後悔の声を聞かせてくださる人がいます。 「あのとき、ケチケチせずに、もっとお金を使って行きたい旅行に行けばよかった」 「子どもの反対を押し切って、再婚しておけばよかった」 「医者の言うことを聞いて、いろいろとがまんしたけど、結局、死ぬときは死ぬんだな」 「子どもの面倒をずっと見てきた後、親の介護で私の人生はなんだったのだろう?」 といった感じです。 私が、定年後とか引退後、子どもの手が離れた後、本当の自分に戻って、本当の人生を送ったほうがいいと申し上げているのは、そういう悔いを数多く見聞きしているからといっても過言ではないでしょう。 もちろん、人間、すべてが思い通りになるわけではないので、まったく悔いがない人生というのはほとんどあり得ないこととは思いますが、自己決定をしなかったりそれを実行しなかったりして残る悔いは大きいように思います。 つまり、お金がなかったからピラミッドを見に行けずに死ぬというのも、もちろん悔いなのでしょうが、本当は行くお金も時間もあったのに、お金を惜しんでしまったとか、自分には贅沢だ(これも「偽りの自己」の声のような気がします)と思って行かなかった、だけど本当は見に行きたかったという場合は、かなりの悔いになるのではないでしょうか? 間違った自己決定についてもそうでしょう。 子どもに嫌われたくないと思って再婚をあきらめたのに、子どもが結局、自分のことを大して看てくれなかったとか、その後の人生が味気なかったということもあるでしょう。少しでも長生きしたいと思って、食べたいものも飲みたい酒もがまんし、禁煙もしたのに、末期がんが見つかったというようなケースも珍しくありません。 自己決定が間違っていた(と思える)場合、自分がバカだったと後悔するので、よけいにみじめになりやすいのはわかります。 私がいろいろな本を書くのも、自分の情報が絶対に正しいと言うつもりはなく、私なりに多くの高齢者を見てきて得た情報を、なるべく多くの人に知ってほしいからです。そうすることで自己決定をする際に、少しでも多くの情報を持ったうえで、それを実行してほしいからです。 知らぬが仏と言いますが、確かにがん検診やいろいろな検診をしないことで、自分には病気がないと思っているほうが余計な治療を受けず、QOL(生活の質)がかえって上がることは老人医療を行っているとよくわかります。まさに、知らぬが仏です。 その一方で、たとえば自分が要介護になったときに、介護保険を受ければどのくらいのサービスが受けられて費用はどのくらいかを知っているだけで、要介護になったときのために大して金を貯めておかなくても平気なのだということを知っていれば、元気なうちにもっと楽しむことにお金を使えることがわかります。この場合、「知らぬが地獄」ということもあるでしょう。 そして、経験的に言うと(自分が経験してきたわけではありませんが、高齢者をたくさん見てきた経験から)、本当の自分の声や本当の自分の欲望に従ったほうが、悔いのない自己決定ができることが多い、少なくとも周囲や世間や医者の声に従って妥協的な自己決定をするより、悔いがないことが多いということは断言していいかと思います。