なぜ「背の高い男性」をリーダーに選びがちなのか 「時代後れの脳」のせいで身長が収入も左右する
あるときなど、(当時とすれば巨額の)1000ポンドも払って、ロンドン市街でアイルランド人の巨人を捕まえる作戦を実施した。 このような拉致の企ての費用が嵩(かさ)むと、背の高い人に子どもをもうけさせようとし、長身の男性を無理やり長身の女性と結婚させ、長身の赤ん坊には未来の兵士とわかるように、赤いスカーフで印をつけた。 フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は、馬車に乗るときには、背の高い兵士たちに、手を馬車の上にかざしながら両側を歩くようにさせ、腕の長さを誇示させた。
■まったく無意味だった身長に対するこだわり フリードリヒ・ヴィルヘルム1世のおかしな性癖は脇に置くとして、身長に対するこのこだわりは、すべて意味がなかった。 彼が支配していた頃の近代の戦闘では、背の高さは際立った特徴としては事実上無効になっていた。銃と、引き金を引きたくてウズウズしている指さえあれば十分だった。 歴史ならではの詩的なかたちでこの点を証明するかのように、ポツダム巨人軍は解体された。イエナ=アウエルシュタットの戦いで、背の高いプロイセン兵士たちが、巨人にはほど遠いナポレオン・ボナパルトに打ち負かされたときのことだった。
フリードリヒ・ヴィルヘルム1世が信じていたように、これらの長身のプロイセン兵たちが見事なまでに美しかったかどうかは、議論の余地がある。だが彼らは、進化のミスマッチの見事な例であることは間違いない。 フリードリヒ・ヴィルヘルム1世は、もう大きな利点を与えてくれない特性に基づいて彼らを選んだ。彼は、ポツダム狙撃兵連隊を編制していたほうがよかったのだが、身長に執着してしまった。奇妙で不合理に思える。 とはいえ、近代以降の社会での私たちの選択をより綿密に調べてみればみるほど、私たちには身長にこだわった18世紀のプロイセン王との共通点が多いように思えてくる。
アメリカの大統領たちは、それぞれの時代の男性よりも一貫して背が高い。研究者たちが計算してみると、他のさまざまな要因を考慮に入れた後でさえ、背の高い候補者が、背の低い競争相手(たち)よりもたいてい多くの票を獲得していることがわかった。 背の高い大統領は、再選される率も高い。これは歴史の気まぐれだと思われるといけないので、研究者たちは実験を行い、参加者に同じ人物の写真を見せた。 ただし、デジタル処理で背景を操作し、一方ではその人物が平均よりも背が高く見えるように、もう一方では低く見えるようにしておいた。