サモア撃破の裏にW杯初トライ姫野和樹のジャッカル
万感の「姫野コール」を浴びたのは、地元出身のナンバー8だった。 姫野は、後半10分には敵陣10メートル線付近でのジャッカル(接点で相手の球に絡むプレー)で向こうのノット・リリース・ザ・ボール(倒れた選手が球を手放さない反則)を誘発。ペナルティーゴールを誘っている。 続く13分にはモールから自身W杯初トライを決め、さらに18分には自陣22メートルエリアでも相手ボールスクラムを押しながらまたもジャッカルを成功させた。 楽しみにしていた地元でのW杯をやや疲れた声で締めた。 「皆にトライを取らせてもらった。嬉しかったです」 「チームがピンチの時にしっかりチャンスに変えるプレーを常に心がけてやっています」 「最後も皆、諦めずにスクラムを押してくれました。いい試合でした」 名古屋市立御田中学校でラグビーと出会う前から、身体が大きく運動が好きな少年だった。自らの意思で春日丘高(現中部大春日丘高)に入ると、徐々に注目の的となった。1年時から全国大会で活躍。自然な流れで高校日本代表にも選ばれた。 高校時代の宮地真監督によれば、家庭の事情などから大学進学が難しいと見られていた。それでも強豪の帝京大ラグビー部に進み怪我に泣かされた時もひたすら身体を鍛え、後輩に慕われるレギュラーとして大学選手権8連覇を達成した。 「宮地先生も『帝京大に行った方がいい』と。いまになって帝京大に行ってよかったと思う。サポートがあって、いい人生を歩めています」 在学中の2015年には、W杯イングランド大会をテレビで観戦。2013年に日本代表の候補合宿で負傷したとあって、歴史的3勝を挙げた大会登録メンバーがうらやましかった。 「その時から『やはり僕は日本代表に入りたいんだ』という思いがクリアになった」
勝負は社会人になってから。そう決意して就職した地元のトヨタ自動車では、ジェットコースターのような日々を送る。 元南アフリカ代表指揮官のジェイク・ホワイト新監督と最初に出会ったのは、会社の新人研修が終わったばかりの2017年5月頃だった。前所属先の契約が残っていたホワイトは、ただ遠くから練習を眺めるだけ。離日のタイミングに監督室へ呼ばれた姫野は、驚きの指令を受ける。 「お前を主将しようと思う」 古豪復活を託された世界的名将から、大学シーンで負けなしだったことなどを理由に先導役を託されたのだ。 練習試合で負けては「うまく立て直せず、ゲームのなかでも考えてしまって、自分のプレーができなかった」と下を向き、古くからの同級生に「ベテランの人に何言ったらいいかわからんし、常に頭、フル回転だよ!」とこぼした。それでも、これらの深い悩みも成長の糧にしていった。 「自分がやらなくてはいけないことはプレーヤーとして身体を張ること」 まずは突進。まずはボール奪取。プレーで引っ張るリーダーとして、先輩方の信頼を勝ち取った。まもなく日本代表のジェイミー・ジョセフヘッドコーチの目にも留まり、同年秋に代表戦デビュー。翌年には日本のサンウルブズに入り、国際リーグのスーパーラグビーで経験を積んだ。身体の大きな外国人相手にも持ち味のパワーを発揮し自信をつけた。 「昔から『日本人は外国人より小さくて弱いから…』という見方で練習をしていますが、やってみたらフィジカルで負けているとも思わない」 ワールドカップイヤーの6月、トヨタ自動車の所属選手が相次ぎコカイン所持容疑で逮捕された。折しも代表候補合宿の実施中。トヨタ自動車から代表を目指すメンバーは、日本協会の方針もあり、その件への言及を避けてきた。 昨季までトヨタ自動車にいて今季から日野でプレーする北川俊澄は、「引退をしていたら声もかけられるけど、僕は(古巣の活動自粛に関係なく)ラグビーをしている。相手の気持ちを考えると(昔の仲間と話すのは)難しいな…」と苦しい胸の内を明かす。 元日本代表でもある北川は、姫野が主将となったシーズンにクラブキャプテンという役職を担ってきた。苦労しながら大きく育った姫野を近くで見てきただけに、心配しながらも前向きなエールを送るだけだった。 「僕もそうですが、彼(姫野)自身も『(仲間の異変に)気づけなかったのかな』と悩むこともあると思います。ただ、それが本人の成長にも繋がるのかもしれない」