<dogS ~ 仲良き事は美しき哉 ~>#2 2頭が絡む先に見えるもの
犬は、人と共に生きることで繁栄してきた。人と犬との絆は、間違いなく素敵だ。一方で、犬同士のコミュニケーションは、時に畏怖を感じるほど純粋なものに映る。人が安易に踏み込んではいけない聖域が、そこにあるように思えてならない。犬同士が織りなす美しき世界……カメラを手に、少しだけお邪魔した。【内村コースケ/フォトジャーナリスト】
僕が犬を初めて飼ったのは11年前のことだ。自分の「コースケ」という名前に濁点をつけただけの「ゴースケ」は、顔はいいが性格にちょっとクセのあるフレンチ・ブルドッグである。そのゴースケがちょうど1歳になった時に迎えたのが、8か月年下の「マメ」で、こちらは単に黒豆のような女子だからそう名づけた。
ゴースケは、感受性が強く、一見前衛的なアーティストタイプに見えるが、実はモジモジした優柔不断な男のコである。一方のマメは正反対とも言っていい性格で、頭よりも体が先に動く体育会系の女子だ。まあ、世の中をナメた感じの、自分が世界一かわいいと思って疑わない女子高生タイプと言っても良い。
ゴースケを迎えたのには、当時人間の汚い部分を見すぎていて「犬の純粋性に救いを求めた」というもっともらしい理由がある。一方、多頭飼いに踏み切った理由は今になっても何も思い当たらない。マメとの出会いが運命だったとしか言いようがないのだ。
それでも、多頭飼いをして良かったと思う。ゴースケにとっての家族は、マメがいなければ僕と妻という「人間」だけだった。一般家庭で生まれ、母犬と6頭の兄弟犬とで、てんやわんやで幼児期を過ごしたマメにとっても、もらわれた先の我が家に犬がいたのはより自然だったと思う。
僕ら「人間」の側として良かったのは、「動物同士のコミュニケーション」が日常生活の中にあることである。それは、純粋ゆえに微笑ましくもあり、時には野生動物の営みのような「自然の尊厳」も見え隠れする。あまり好きな言葉ではないが、これ以上の「癒やし」はないと僕は思っている。だから、他の家の犬の写真を撮る時も、「犬同士のコミュニケーション」は僕にとって非常に大切なモチーフなのだ。
■内村コースケ(うちむら・こーすけ) ミャンマー生まれ、カナダ・イギリス育ち。新聞記者・社員カメラマンを経てフリー。写真も撮れて「書ける」フォトジャーナリストとして活躍。2003年に2頭のフレンチ・ブルドッグと暮らし始めてから、犬雑誌でのフォトエッセイの連載やペット関連のフリーペーパーの編集、アイメイト(盲導犬)関連の取材・撮影など、活動の中心が「犬」になっている。【ブログ「写像的空間」】