「源氏物語」を角田光代の現代訳で読む・橋姫③ 山里の家で薫が心惹かれた、琵琶の音と2人の姫君
■だんだんと会うことも多くなるにつれ いかにも聖っぽい人や、学問のある法師などは世間に多いけれど、あまりにも堅苦しく近づきがたい高徳の僧都(そうず)や僧正といった身分の僧は、じつに多忙で無愛想で、仏道に関して何か質問したとして、答えるのも大げさな感じがする。かといって、たいした身分でもない法師で、戒律を守っているだけのありがたみはあるけれど、人柄が下品で言葉遣いが汚くて、不作法で馴れ馴れしいのは、じつに不愉快である。こちらが昼は公務で忙しいので、もの静かな宵の頃、そば近く枕元などに呼び寄せて話すにも、どうにもうっとうしいことが多いものである。しかしこの宮はたいそう気品高く、痛々しくすらある様子で、言葉ひとつ口にするのにも、身近なたとえをとりまぜて説く。実際にそれほど深く悟っているわけではなくとも、高貴な身分の人はものごとの本質を会得するのにも長けていて、だんだんと会うことも多くなるにつれ、始終会っていたくなり、多忙で宇治を訪れる暇もない時は、中将は宮を恋しく思わずにはいられないのだった。
中将がこれほど宮を尊敬しているので、冷泉院からも始終宮へ便りがあり、長いあいだ人の話にものぼることなく、いかにもさみしげだった邸に、だんだんと人の出入りも見られるようになった。季節ごとに冷泉院からはたいそうな挨拶があり、この中将も、何か機会があるごとに、風流な趣味の面でも実生活の面でも、心を寄せて仕えることが三年ほども続いていた。 秋も終わる頃、四季に合わせて行う念仏を、この宇治川のほとりの邸では網代(あじろ)の波音もひどく騒々しく落ち着かない時節だからと、宮はあの阿闍梨(あじゃり)の住む山寺の御堂(みどう)に移って、七日のあいだ勤めることとなった。宮の不在に、姫君たちはたいそう心細く、気の紛らわしようもなくもの思いに沈んでいる。ちょうどその頃中将は、久しく宇治に行っていないと思い出すままに、まだ夜深く、有明の月がさし上る頃に出発し、だれにも知られず、お供の者なども少なくして、目立たぬなりで出かけた。川のこちら側なので舟などの面倒もなく、馬で出かける。山間に入っていくにつれ、霧が深くなり、道も見えない草深い野中を分け入っていくと、たいそう荒々しい風が吹きつける。ほろほろと風に乱れ落ちる木の葉の露が降りかかるのも、ひどく冷たく、自分で行こうと決めて来たものの、たいそう濡れてしまった。このようなお忍びの外出などもめったにしない中将は、心細くも、またおもしろくも思うのだった。