自己資金「1500万円」でパン屋を始めた、40代「元エリートサラリーマン」の末路…妻と子どもは消息不明、現在は廃業した
「なんてのんきに起業なんてしてしまったのだろう」
パン屋の単価は決して高くない。かつ、パン屋のライバルはパン屋だけではない。近くのコンビニには同価格帯のおにぎりやお菓子がたくさんあるから到底かなわない。スーパーができれば、激安お惣菜もライバルになる。 パン屋をはじめて1年もたたないうちに、この選択は失敗だったと思った。 「まず、従業員を雇う余裕がないので労働時間がものすごく長いんです。なのに固定コストが高いので収入は少ない、到底家族を養えない。家に帰っても、奥さんも娘もほとんど会話をしてくれなくなりました。 開業して3ヵ月ほどたったある日、仕事が終わって帰宅したら妻と娘はいませんでした。実家に戻るという書き置きだけがあって……呆然としましたね」 それからほどなくして、奥さんと保証人の欄のみ記入された離婚届け用紙が届いた。 「保証人は妻の両親ですよ。別れないわけにはいかなかった……自分はなんてのんきに起業なんてしてしまったのだろうと後悔しました。 その一方で、到底家族を養えないので、妻と娘に実家というよりどころがあることにホッとしました。苦しくて悲しいのにホッとする……あんな感情は生まれて初めてでしたね」 そこからはもう「自分ひとり」の人生。恋や友情を求める場合ではない。仕事をやるだけ。となると、不思議と肩の力が抜けてしまい、パン屋への意欲もそがれていき、売り上げも落ちていき、離婚から1年ほどで赤字に。 わずかな貯金を切り崩して営業していたが、まったく足りずに地元の信用金庫から借金。儲かっていないのになぜか500万円ほど貸してくれたが、それもすぐに泡と消え……とうとう5年前には、かつて家族用に購入してローンを支払っていたマンションを購入時の半額ほどで売却してちいさなアパートに引っ越した。 なんとか借金はすべて返済し、パン屋を廃業。ちいさなワンルーム賃貸住まいになった。 それにしても、赤字の月が多かったのに、だったのに、10年も営業していたのはなぜか。もう少し早く廃業していたら、金銭的にもう少し楽だったのではないか。 「なんなんでしょうね……パン屋がなくなったら、もう、自分の未来がまったく閉ざされるという気持ちだったのは確かです。ヘンな意地と、ほかになにをしたらいいのかわからないという気持ちと……。 開店当初ほどのやる気はなくなっていましたが、それでも、パン屋だけはなんとか続けたい、続けたかった。でも、うまくいかなかった。売れなくなっても、毎日、ロールパンやアンパンなど200個から300個は焼いていたんです。 ご近所さんがそこそこ買ってはくれましたよ。でもね、余るんです。半分くらい。自分で何個か食べるけどあとは廃棄する毎日でね。 心身ともに疲れて、何もやる気が起きなくて、パン屋を臨時休業することが増えていって……心療内科を受診したんです。鬱でした。病院の先生と話すうちに、もうパン屋を休んで次の人生を考えようと言う気持ちになりました。 10年間続けたのだからもういいだろうと、一区切りだと。それからは、また企業に就職しようとハローワークに行ったりネットで検索もしましたが、自分程度のものには再就職もままならない。大企業にいただけで、なにもできないし、もう10年も離れていましたからね、浦島太郎ですよ。 まあ、がんばればあるのでしょうが、その気力もない。なのでもうずっとアルバイト生活です。日雇いの警備の仕事とか、倉庫で荷物を運ぶ仕事が多いです」