「最後まで走り切りたい」ドレッドヘアの38歳、堀江翔太が“ラストゲーム”で残した爪痕。最後のワンシーンにも見えたぶれぬ基本の型
堀江翔太は、最後の最後までうまくなろうとしていた。 2024年3月某日。その年度限りでスパイクを脱ぐと決めたシーズンは、中盤に差し掛かっていた。 【決勝ハイライト】堀江翔太、ラストゲームで奮戦! ラグビー日本代表として4度のワールドカップに出た38歳は、所属する埼玉パナソニックワイルドナイツのクラブハウスで述べた。 「どのプレーに対しても、『これでいいや』と思わず、いろいろチャレンジしたいことはチャレンジして、最後でも成長してきたらいいかなと思っています」 その折は、接点での相手ボールへの絡み方について「ロッキー(チームメイトでフランカーのラクラン・ボーシェー)の教えをもらったりとかして、それを意識しながらやっていますね」。もともとそのプレーが得意だったはずなのに、巧みな同僚の技を採り入れようとしていた。 トレードマークのドレッドヘアをてっぺんにまとめ、いくつものタックル、コンタクトを繰り出してきた背筋を伸ばしたまま、のびやかに続けた。 「何か、最後まで走り切りたい、やり切りたいという気持ちが強いので。『ここでもういいや』と止めるのは上を目指そう、優勝しようとしている周りの選手に申し訳ない。あと、中途半端な思いでプレーするのは怪我に繋がりそうなので」 5学年下でフランカーの谷昌樹は、かような堀江のものの「捉え方」に感銘を受けるひとりだ。 2013年の入部時、すでに日本を代表するフッカーだった先輩へ「吸収しないのはもったいない」と合間、合間に質問を投げかけてきた。一つひとつの知見を血肉としてきた。 なかでも最大の学びは何か。そう問われれば、堀江のほうが周りから教わろうとしていたことだと語る。 「あの人ですら、トライアルアンドエラーを繰り返しながらやっているんです。相手の国籍、年齢を問わず聞きに行く姿勢が、一番、学びになりました」 確かに堀江と谷が公私ともに親しくなった期間は、堀江が新しい自分を獲得した時期と重なる。 12年の自身3度目となるニュージーランド挑戦を経て、13年、オーストラリアのレベルズと契約。国際リーグのスーパーラグビーで国際経験を積むなか、スクラムの組み方、戦術眼など引き出しを増やしてきた。 いまなお師事する佐藤義人トレーナーに出会ったのは2015年。ワールドカップイングランド大会で南アフリカ代表を破る直前のことだ。 左の握力を大幅に落とす首の怪我から復帰した流れで、独自の鍛錬で身体を根本から作り直した。ぶつかり合う時の身体の使い方、立ち方、歩き方、走り方に工夫を施し、負荷をかけずに効果的に出力できるようになった。 おかげで選手寿命を延ばすどころか、21年度のリーグワンでMVPとなるなど進歩を重ねた。リタイアを発表したのは、最高潮のまま芝を降りて佐藤氏の教えを広く伝え広めるため。リーグ戦で活躍しながら、こう漏らした。 「引退するって言ったけど、そんなことを忘れることが多いですね」
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