多忙な人が気づくべき「怠けてはいけない」のウソ 思い込まされている価値観は本当に正しいのか
こうして数時間、「充電」をすると今度は、時間を有意義に使えなかった罪悪感が押し寄せてくる。 「友達と出かければよかったのに」「なんで執筆しなかったんだろう」「どうせなら健康的で素敵な晩ごはんを作ればよかった」ー。 そうして、翌日にやるべきことを考えてストレスに襲われる。そしてまた翌朝になると、罪悪感から働きすぎて疲弊、というサイクルが始まるわけだ。 これが身体によくないのは当時もわかっていたけれど、抜け出せずにいた。たとえ疲労感がひどくても、大量のタスクを短時間で完了する快感は手放せなかった。私は「やることリスト」に完了のチェックを入れるために生きているようだった。
相手の期待より早くメールを返信して、「すごい! 仕事が早いね」と言ってもらうのが快感だった。頑張り屋で仕事のできる人だと思われたくて、自分がうまく回せる以上の仕事を引き受けた。 そうやって、次々にタスクを自分で抱え込んでいれば、破綻するのは時間の問題だ。体調を崩すかメンタルをやられてしまう。 ■「怠惰のウソ」に気づいた 実際、私は過労で体調を崩した。それでも不調を隠して働き続けた。過労のせいで心身が完全に壊れるまで、方向転換の仕方がわからなかったのだ。体調は元に戻らず、医師に診てもらっても原因は特定できない。
どんな検査も治療も役に立たず、医師にも治せなかった謎の病気に苦しめられた末、ようやく治療法が見つかった。休養だ。何もしない、純粋な休養が私には必要だったのだ。 それから2カ月、徹底して非生産的に過ごした。そのうち徐々に、心身にエネルギーが戻ってきた。 改めて見渡せば燃え尽き、体調不良、仕事を抱えすぎた人が周囲にたくさんいる。それでようやく気づいた。私が苦しんでいたのは、社会全体に蔓延した流行病だったのだ。これを私は「怠惰のウソ」と呼んでいる。
「怠惰のウソ」は深く文化に根ざした価値体系で、次のことを私たちに信じ込ませている。 ●表向きはどうあれ、本質的に自分は怠惰で無価値だ。 ●怠惰な自分を克服するために、いつも一生懸命頑張らなくてはいけない。 ●自分の価値は生産性で決まる。 ●仕事は人生の中心だ。 ●途中でやめてしまうこと、頑張らないことは、不道徳だ。 「自分は頑張りが足りていない」と罪悪感が湧くのは「怠惰のウソ」が原因だ。身体を壊すまで働きすぎるのも、「怠惰のウソ」に突き動かされているからだ。