「私たち捨てられた…」103万円の壁以外の大問題を立憲・野田代表に問うた【報道1930】
野田代表と話したかったというのは、6月から1DKの仮設住宅に母親と暮らす松門信親さん。83歳の母は自宅では介護ベッドを使っていたが、仮設住宅の大きさでは置くことができず段ボールベッドに寝ていた。実は松門さんも半壊した自宅の公費解体を待つ一人だ。 輪島市で仮設住宅に住む 松門信親さん(50) 「公費解体の遅れはとても感じています。期限が3月まで伸びたんで、どうしようか悩んでます。(―――野田さんに言いたいことは?)与党野党手を組んで(能登のための)補正予算組んでほしいんですよ」 野田佳彦代表 「はい。それはもうしっかりと…」 自民王国だったこの地でも今回の選挙では立憲民主党の候補が圧勝した。松門さんも立憲に一票を投じた。それだけに期待は大きい。 松門さん 「豪雨の被害がかなり深刻やった。そこを見て補正予算つけていただきたい」 野田代表 「しっかりとつけたいと…。今まで予備費の対応で何に使ったかわかんなかった。たとえは岸田総理が現地に行くと1000万円予備費がつくとか…、これから先に明るい未来が立てられるかわかんないままだった」 能登半藤地震に際して政府は補正予算を組まずに7回にわたる予備費で対応してきた。この対応が復旧の遅れに関係していると野田氏は考えていた。 野田代表 「阪神淡路大震災の時は1995年1月17日発生でしょ。で2月の中旬には補正予算を閣議決定していた。28日には成立してる。東日本大震災の時は私財務大臣で(補正予算と推すまで)1か月ですよ。熊本地震も1か月。2か月かかったのは中越地震だけ。なんで(能登は)7回も予備費で…」 松門さん 「豪雨被害が9月にあった。自民党が10月に解散した。選挙どころじゃなかったんですよ。市民は“輪島捨てられたな”って…」 野田代表 「私も現地に行って、輪島だけでも土砂災害のところがいっぱい…。道路も40か所くらい寸断されて…。これで選挙って、いくら何でもないだろって…。東日本大震災の時、県議選を半年ずらした。ああいう措置はできたと私は思う。自治体の職員も被災者。そこに選挙の実務が加わってしまって非常にオーバーワークだった…」