アイヌ伝説の猟師が語る「ヒグマの最大の欠点」とは?戦前の北海道で実際にあった「人間と熊」の闘い
こうして、この毒薬を用いてのアマッポ猟はたちまちのうちに広まり、全道的に行なわれるようになったという。 ■大声で熊を立ち上がらせて、銃を発砲する ところが、明治の初め頃から猟銃が持ち込まれるようになって、アイヌの人々の中にも銃を使う者が増えてきた。彼らは、狩猟者としてそれを必要とするがゆえに、猟銃の取扱いにはきわめて精通し、大正から昭和にかけての沢造たちの時代になると、操作法に心を砕いて、一瞬でも早く正確に射撃できるよう、各々が鍛練をしたものであった。
なかでも「腰矯(こしだめ)」という、銃を腰のあたりに当てて発砲する技法に惹かれた沢造は、1年あまりの時間をかけて、あらゆる角度からの練習を重ね、ついにそれを己れのものとして完成させた。 沢造にはまた、熊の習性を知悉(ちしつ)する者だけが使える、得意の手があった。それは、走り寄ってくる熊に対して大声を発し、その熊を立ち上がらせる、というものである。立ち上がって襲いかかろうとする寸前に腰矯にした銃を発砲すれば、弾丸が熊に致命的な打撃を与える確度は増す。
「襲いかかってきた熊の前に立ち塞がって大声を張り上げれば、たいていの熊は立ち上がるものだ」と沢造は平然として語っていたが、それを聞いたとき私は、ある種の畏怖を覚えた。その言葉に私がおののいたのは、そのような技に恐れを抱いたからというよりも、猟を生業とする者の凄みを感じとったからに違いない。
今野 保