東大、29歳学生、無印……箱根駅伝を走る3人の異色ランナー
埼玉・伊奈学園高では貧血もあり、インターハイ出場を目指した5000mでは県大会で予選落ちするレベル。当時は「箱根駅伝は雲の上の舞台だと思っていました」というが、10月の記録会5000mで自己ベストを30秒ほど更新する15分08秒をマークして、「挑戦してみよう」という気持ちが芽生えた。そして学内の指定校推薦を勝ち取り、中大法学部に進学する。 陸上部とは何の関係もなかったため、中山は自分から浦田春生駅伝監督(当時)に電話をかけて練習に参加。最初は正式な部員ではなく、「準部員」という扱いだった。準部員は陸上部の寮に入れないどころか、「C」のマークや、「中央大学」の名前が入っているウエアを着ることも許されない。チームの応援には市販のジャージを着て出かけたという。 正式入部の条件は「5000m15分00秒未満」で、11月の日体大長距離競技会5000mで中山は14分58秒をマークした。今となっては何ということもないタイムだが、「これで『C』のジャージが着られると思って、ラストは死に物狂いで、無理やり動かしました。とにかくうれしかったですね」と中山は振り返る。 2年時には箱根予選会のメンバーに選ばれるほど成長した。しかし、不安な気持ちに揺さぶられると、レース1週間前に発熱。出走メンバーから外れることになった。そして、中大は箱根本戦連続出場記録が87で途切れることになる。 「中大が落ちるとは思っていなかった」と沈んだ中山だったが、個人としては自己ベストを積み重ねていく。11月の日体大長距離競技会5000mで14分23秒69、12月の日体大長距離競技会1万mでは29分19秒13をマークした。 そして3年生になった今季は9月の日本インカレ1万mで29分16秒49の自己ベストで9位に食い込むと、箱根予選会も快走する。チームトップの59分36秒(8位)でフィニッシュ。1週間後の平成国際大長距離競技会5000mでは大幅ベストとなる13分53秒07を叩き出した。 「4年間でどうにか箱根を走りたいと思ってきたんですけど、自分が5000mで13分台を出せるなんて想像していませんでした。正直、ここまで成長できたことに驚いていて、映像を見ても、自分なのかと疑ってしまうこともあるんです。でも、これで満足してしまったら成長はないので、いい意味で欲を持って箱根駅伝に臨みたいと思っています」 同じ学生ランナーといえども、本番までの道のりは人それぞれだ。研ぎ澄まされた肉体で、正月の晴れ舞台に向かう姿の一つひとつに個々のドラマが隠されている。 (文責・酒井政人/スポーツライター)