戦没画学生に問われた26年 : 無言館館主「俺はひたむきに生きたのか」
「世間の文脈から開放したい」と窪島さん 画学生も自分も
窪島さんが「消費した」と語る背景には、戦争体験のない自分が野見山さんの夢を代行したことにより、「無言館館主」としての人生を生きたことへの違和感がある。そして「消費」の共犯者であるメディアにも、愛憎半ばする感情を抱いている。 毎年夏がくると、新聞やテレビは「戦争の記憶」をテーマにした企画報道をする。無言館にも取材依頼が寄せられ、若い記者やカメラマンがやってくる。判を押すように「あの戦争を忘れない」「戦争に散った青春」といった文脈で紹介され、一定期間、来館者数は回復する。 コロナ禍で来館者が激減したが、2022年夏にテレビドラマになり、脚色を交えた美しい物語は視聴者の心を捉えた。結果的に前年度比で1万人増という、絶大な影響力だった。 メディアに注目されることは、経営的にはありがたい。だが社会で戦争の記憶が薄れるほど、無言館そのものが「消費されている」という感覚は年々、募るという。 「ただの『経済成長男』が戦争の悲惨さを語り、『平和運動の旗手』としてメディアに紹介されてきた。記者たちは季節がくればやって来て、帰っていく。その繰り返しです。そういう『文脈』から彼らを解放して、無辜(むこ)な絵描きに戻してあげたい」 2023年6月には、野見山さんが102歳でこの世を去った。重荷を背負ってきた窪島さんには野見山さんに対する複雑な思いはあれど、「無言館にとっては大事な象徴のような画家だった」と語る。 どのように戦没画学生や作品たちを「解放」するのか。数年かけて模索した結果、方向性は見えてきた。まずその一歩として、今年6月、俳優の故・樹木希林さんの長女で文筆家の内田也哉子さんが共同館主に就任した。2015年に希林さんが無言館を訪れたことをきっかけに、内田さんも窪島さんとの対談などを通じて無言館の存在を世にアピールしてきた。そして無言館の持続可能な運営のため、別館の位置づけとなる「無言館・京都館」を展開する立命館大学と、今後一層の連携強化をはかるという。 そして窪島さん自身が戦没画学生に向き合う上での「偽りのない気持ち」についても、定まりつつあるそうだ。 「一人であの空間に立つと、なんとも言葉にできない張りつめたものを感じます。あの感じは、世界中のどの美術館にもない唯一無二のもの。あれが何かと言えば、画学生たちのひたむきさだと思う。ただひたすらに絵を描きたいのだと筆を動かし続けた彼らの営みが、共鳴し合っている。僕は彼らに問われ続けていたんですね。『お前はひたむきに生きたのか』って」 声なき声に向き合うたびに自問し、心は揺れ動く。苦しいが、それこそが、戦没画学生たちと真正面から向き合うことだと、窪島さんは考えている。 写真撮影:伊ケ崎忍 編集協力:POWER NEWS編集部
【Profile】
浜田 奈美 フリーライター。1993年朝日新聞社入社。大阪スポーツ部、高知支局、大阪社会部、週末版「be」編集部、AERA、東京文化部などで幅広いテーマの記事を執筆。勤続30年となる2023年春に早期退職し、フリーライターとして活動中。著書に「最後の花火 横浜こどもホスピス『うみそら』物語」(朝日新聞出版)。